どうなる日本? 新時代を迎える自動運転技術池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/3 ページ)

» 2015年04月27日 08時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

 これら3つの基本操作系に加えて、最近流行りの自動ブレーキが大きな役割を果たす。前方の障害物データをキャッチするのはミリ波レーダーとカメラの役目だ。性能にもよるが、レーダーは150m程度先までの進路及びその周辺の障害物を捕捉する。次にその障害物が何なのか、カメラの画像データから判別する。人なのかクルマなのか自転車なのかを画像解析するのだ。そこまでくれば後は障害物の特性に合わせてブレーキをかけるだけである。

 この自動ブレーキによってさらに道が開ける。次はクルーズコントロールだ。進路上の状況がセンサーによって把握できれば、次にクルマがどんなアクションを起こせばいいかはプログラムで決められる。しかも前述のようにアクセルもブレーキもハンドルも電気的に操作できるのである。このレーダークルーズコントロールによって、ある程度アクセルもブレーキもハンドルもドライバーが操作せずに走ることができるようになった。メーカーや車種にもよるが、ここ最近のレーダークルーズは驚くべき完成度に達しており、加速も減速も一般ドライバーよりよほど上手に行うものがある。そのスムーズさは見事なものだ。

メルセデスベンツは、一般道路100kmを自動運転で走らせる動画を公開。ドライバーが監視しているが、信号や歩行者などを認識して自動走行している(メルセデスベンツジャパン公式)

 現在普通に市販されているクルマの最先端技術はここまでだ。確かにそれは相当なレベルで自動化されているが、自動運転とレーダークルーズには根本的な違いがある。それは、レーダークルーズでは全てを掌握してコントロールする責務がドライバーにあるという点だ。クルマの自動化システムは全てドライバーをアシストするための機能であって、主役はあくまでもドライバー。当然、安全に運転する義務はドライバーにある。

最新の自動運転は、これまでと何が違うのか?

 しかし、それが根底から覆される日が近づいている。再びボルボのリリースを見ると、こう書かれているのだ。

 自動運転は、私たちの運転に対する考え方を根本的に変えるでしょう。将来は、自動運転もしくは、ご自身の手によるドライブのどちらかを選択できるようになります。自動運転により、毎日の通勤が無駄な時間から有益な時間へと変わり、仕事と快適性の新しい可能性が広がります。

 有益な時間ということは、つまり「責任を求めないので、ドライバーは自動運転中、車中で仕事をするなり遊ぶなり寝るなり自由にしていい」ということだろう。運転席はもはや乗員を乗せる椅子になり、運転操作をするための身体固定装置ではなくなるということである。

車内イメージ。自動運転の間、ドライバーは「時間を有意義に使える」ことを示すボルボの公式写真。実現した時点で自動運転中にやっていいことといけないことについては新たにガイドラインができるだろうが、このイメージで見る限り、少なくともドライバーが前方監視をすることにはなっていない
GPSとクラウド上に置かれた3Dデジタルマップを照らし合わせて自車位置と道路を把握するシステムがベースになっている。これにレーダーやカメラで捉えたリアルタイム情報を加味して車両を走行させる

 「本当にそんなことが可能なのか?」と思うのが当然だ。ボルボも全てが万全だとは言っていない。今回のプロジェクトでは、手始めにイェーテボリ市周辺の公道で、一般顧客の所有する100台の自動運転車両を走らせるのだという。

 自動運転中はドライバーによる瞬時の危険回避行動にはあまり期待できません。実験の初期段階では、対向車やサイクリスト、歩行者がいないなどの条件を備えた道路を自動走行することになるでしょう。

 それはそうだろうと思う一方で、並々ならぬ決意も見て取れる。まず最初からドライバーの対応を期待していないこと、そして条件を限定するのは「実験の初期段階だけ」だと言っているのである。つまり、本当にクルマが自動運転化され、やがては歩行者も歩いている普通の道を走らせるつもりでいるということだ。

 もう一度リリースの文章を抜き出してみる。

 自動運転のコンセプトカーを開発し、実証することは比較的簡単です。しかし、実社会に自動運転を普及させるには、安全でしっかりしているだけではなく、一般の生活者にとって手頃な価格で完全なシステムを設計・生産する必要があります。

プロジェクト「Drive Me」のロゴが入った、ボルボV70ベースの実験車。他の車種の実験車があるのかどうかはまだ発表されていない

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