フクシマの被災者たちは忘れられつつある――社会の「忘却」は“残酷”烏賀陽弘道の時事日想(7/7 ページ)

» 2015年03月30日 08時00分 公開
[烏賀陽弘道Business Media 誠]
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「自分たちは忘れられつつある」という無力感と悔しさ

 千賀子さんは全国から訪ねて来るボランティアや学生に被災や避難、仮設住宅での生活を話す「語り部」をやっている。

 避難先でも元気で活発ですね、と私がほめるつもりで言うと、千賀子さんは首を横に振った。

 「いや、元気者の私ですら、相当疲れています」

 4年が経過して、肉体的にも精神的にも疲労が限界に近づきつつある。それは私にも分かった。

 「渦中にいる私たちの話を誰も聞かない。聞いてもらっても、誰かに届くような感じがしないのです。

 仮設住宅や高速道路(無料通行)を1年ずつ延ばし延ばしにして、最後は(原発事故が)なかったことにするんじゃないか? と最近はあきらめムードでいます。

 3.11直後は毎日福島第一原発事故が一面でしたよね。でも今は記事そのものがない。たまにあっても、週刊誌が興味本位で『賠償金をもらってパチンコをして暮らす避難民』と書くくらいでしょう。なぜこんなことになったのか、掘り下げるのがマスコミの責任じゃないんでしょうか」

 つまりそれは「自分たちは忘れられつつある」「無視されつつある」という無力感であり悔しさである。

 私は返す言葉が見つからず、ただ頷(うなず)くしかなかった。「原発事故関連の記事は売れませんから」と書籍の企画を断られ、連載を切られ続けている私も、同じように社会の「忘却」の残酷さにため息をついているのだ。

 話を終えて西原さん宅を辞すると、外は夕方だった。朝来たJR常磐線の跨線橋を戻り、上から振り返ると、プレハブ団地の向こうに日が沈もうとしていた。

JR常磐線の線路そばにあるいわき市泉玉露の仮設団地
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