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» 2015年03月19日 13時10分 UPDATE

烏賀陽弘道の時事日想:福島第一原発から約6キロ、ある家族の「一時帰宅」に同行した (1/5)

東日本大震災から4年が経ったが、原発事故で避難生活を続ける人たちはどうしているのだろうか。筆者の烏賀陽氏は、ある家族の「一時帰宅」に同行、そこで目にしたものは……。

[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール:

 フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。


 東日本大震災から4年が経った。しかし、福島第一原発事故による汚染のため、わが家に帰れないまま避難生活を続ける人は、福島県だけでまだ約12万2000人(2014年末)もいる。関東なら国分寺市、関西なら富田林市といった大都市近郊の中規模都市ひとつが、地図から消えてしまった計算になる。

 その人たちは今どうしているのだろう。どんな気持ちでいるのだろう。特に、今も「強制避難」「立入禁止」が続く「帰還困難区域」に家がある人たちは数カ月に1回の「一時帰宅」しか許可されない。彼らの思いを知りたくて、富岡町から避難してきた人たちが暮らす、福島県いわき市にある仮設住宅を訪ねた。そうした「立入禁止区域」に入るには、立ち入りの許可証を持つ住民に同行するしか方法がない。そして2015年2月、ある家族のご厚意で「一時帰宅」に同行することができた。


 いわき市の「泉玉露仮設住宅」はJR常磐線の線路のすぐそばにある。東京・上野から特急に乗って約2時間。泉駅で降りて跨線橋(こせんきょう)に上がると、駐車場の向こうに灰色の平屋プレハブ住宅が並ぶ「団地」が見渡せた。

 目指す西原清士さん(63)・千賀子さん(65)の部屋は一番奥のようだ。「B1〜3」「C2〜4」などと機械的な部屋番号を確かめながら、プレハブとプレハブの間の通路を歩いた。干された布団や洗濯物の間を、身をくねらせながら進む。棚に大きな盆栽が並んでいる棟もある。避難の時に持ち出す余裕はなかったはずだし、屋外のものは汚染の恐れがあると持ち出しも禁止されていたはずだから、ここに入居してからのものだろう。「仮設」の「避難先」とはいえ、4年もの年月が経つと、好むと好まざるとにかかわらず生活はそれなりに定着する。それだけの時間が流れたのだ。

yd_ugaya1.jpg 仮設住宅は玄関が二重になっている
yd_ugaya2.jpg プレハブの避難者用仮設住宅の間の通路(写真は2015年2月に撮影、場所は福島県いわき市)

 西原さん夫妻はワゴン車のエンジンをかけて待っていてくれた。1月、東京圏のボランティア団体「ウシトラ旅団」に同行して、泉玉露団地のもちつき大会を取材に来た。その時に紹介してもらったのが西原さん夫妻だった。千賀子さんは、もちをこね、きな粉やあんこをまぶす奥さんたちの間をてきぱきと走り回っては、全体の作業を前に進めていた。仮設団地の役員なのだろう。世話好きな人に見えた。

 「ひとつだけ条件があります」

 一時帰宅に同行させてもらえませんか、とお願いすると千賀子さんは厳しい声で注文を出した。

 「今までいろんな新聞や雑誌が取材に来たんだけど、東京新聞以外はどこも掲載した紙面を送って来ないのよね」

 なるほど。そりゃけしからんですね。必ずお届けします。と頭を下げつつ、私は千賀子さんに好感を持った。マスコミに対しても遠慮せずに思ったことをはっきり言ってくれる人のほうが、こちらも正直に話せる。後でもめ事になったりしない。

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