寝台特急北斗星に乗り続けた画家、鈴木周作さんの「これから」杉山淳一の時事日想(3/5 ページ)

» 2015年03月13日 07時25分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

北斗星は東京への交通手段に

 「札幌に住んだら、もう北斗星に乗る必要はない」と寂しく思っていた。しかし、移住してすぐに東京の出版社から声がかかり、打ち合わせに出向く機会があった。「そうか、まだ東京に用事があったんだ」。こうして鈴木さんと北斗星の旅は継続した。鈴木さんにとって北斗星は実用的な列車でもあった。

 北斗星のほうにも変化があった。1999年に臨時便が「カシオペア」に昇格した。北斗星としては減便だけど明るい話題だった。しかし2008年3月のダイヤ改正では、残り2往復のうち1往復が減便。このとき、鈴木さんは北斗星の終焉(しゅうえん)を予感した。単なる交通手段ではなく「見届けたい、絵で記録したい」という思いが今まで以上に強くなったという。特に、東日本大震災で運休し、2カ月後に復旧したときは、どうしても復活の日に乗りたいと思った。「北斗星の何が変わって、何が変わらなかったか」を知りたかった。

 北斗星廃止のニュースについては冷静に受け止めているという。鈴木さんは著書で「諦め」、インタビューでは「満腹、満足、潮時」という言葉を使った。そして、「どれも本当の気持ちを正確に表しているとは言えない気がする」とも。北斗星が好きで、北斗星の姿をよく知っているからこそ、鉄道会社や社会情勢の中の「北斗星の立場」も理解できるのだろう。彼の心中はとても複雑だ。しかし「悲しい」「残念」という気持ちとは違う。

 ところが、北斗星廃止の報道の中で、鈴木さんを「とにかく北斗星に乗り続けたい」「なくなるなんて残念」「残してほしい」という人物像に当てはめようとする取材もあり、困惑していると苦笑いしていた。「杉山さんがBusiness Media 誠で書いていらした“筋違い”という記事、同感です(関連記事)」とも。あの記事では「私だって北斗星は好きだ。残したい。でも、乗らない人たちのお金の都合で走らせてくれ、という理屈は通じない」と書いた。鈴木さんはもっと深く「北斗星を政治のコマに使わないでくれ」という気持ちを読み取ってくださったかもしれない。

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