創業139年、エリクソンはなぜモバイル業界で生き残れるのかエリクソン VS ノキア(2/3 ページ)

» 2015年02月23日 09時10分 公開
[末岡洋子,Business Media 誠]

10四半期連続赤字からの再生

 端末事業をソニー・エリクソンに託したエリクソンは、無線インフラ分野のてこ入れに力を入れるようになる。だが2000年初め、欧州では3Gライセンスの入札が高騰した結果、テレコムバブルがはじけて「テレコム不況」といわれる不景気が襲った。エリクソンはそのあおりを受けて、経営不振に陥る。2002年の売り上げは前年比31%減となるなど、10四半期も赤字決算が続くという暗黒の時代だ。10万7000人いた社員数も、2001年から3年間で約半分にまで減ってしまった。存続が危ぶまれるほどの危機を経験した後、2003年第3四半期にやっとプラス成長に転じる。当時CEOとしてリストラ対策に大鉈を振ったCEOのクルト・ヘルストローム(Kurt Hellstrom)氏は、「市場の状況をコントロールすることはできない。だが、自分たちのオペレーションはコントロールできる」と語っている。

 ヘルストローム氏は中核となるインフラ事業を強化し、プロフェショナルサポート事業を本格化させた。このサポート事業は現在、売り上げの4割を占める重要な柱となっている。もちろん、標準化を主導するための研究開発は継続し、特許ポートフォリオを築いた。エリクソンは現在でも、売り上げの約15%をR&Dに注いでいる。

 一方、市場に目をやると、先に危機を味わったエリクソンが再び成長曲線に転じる頃に、市場は淘汰の波に襲われた。いずれも国を代表する一流企業だったフランスのアルカテル(Alcatel)と米国のルーセント(Lucent)が合体したアルカテル・ルーセントが生まれ、ノキアはインフラ事業でドイツのシーメンス(Siemens)と合体しノキア・シーメンス・ネットワークスが発足した。競合がもたつくのを尻目に、エリクソンは顧客を獲得し、売り上げを伸ばし、シェアを広げていく。

 だが新しい脅威が台頭していた――中国のHuawei Technologies(華為技術有限公司、以下、ファーウェイ)だ。ファーウェイはそれまで価格競争でシェアを増やしてきたが、一流ベンダーを目指して急速に品質や技術力を上げていた。ガートナーが発表した2013年テレコムサービス市場(ネットワークインフラ、ネットワークインフラサービス、オペレーション管理システムなどを含む)で、エリクソンは18.6%でシェア1位、ファーウェイは3.7ポイント差で2位に付けている。3位以下は1桁台となり、エリクソンとファーウェイで3割以上を占めている状態だ。

「ネットワーク社会」としてコア事業を拡大――ソニー・エリクソンの売却

 この当時から現在まで、エリクソンの成長戦略は大きく変わっていない。コアの事業を強化し、コアから派生/拡大する分野を新規分野として育て(買収または社内開発)、大きくなるとコアとして取り込むというものだ。

エリクソンのCEO、ハンス・ベストベルグ氏。1991年にエリクソン入りし、2007年にCFO、2010年にCEOに就任した

 ソニー・エリクソンの売却も、その流れからみると納得がいく。エリクソンがソニー・エリクソンの持ち株をソニーに売却すると発表したのは2011年10月のことだ。その直後に香港で開催された自社イベントで、エリクソンのCEO、Hans Vestberg(ハンス・ベストベルグ)氏は「端末事業から完全に撤退したのは、感傷的な出来事」と語っていた。端末事業を手放した背景には、無線ネットワークインフラを強化していくにあたって端末事業を維持し続けるメリットはなくなったという判断がある。端末ビジネスは様変わりしており、「それまではインフラと密接に結びついていたが、全く別の事業になった」と述べた。

 ベストベルグ氏は2010年、当時45歳という若さでCEOに就任した。同時にある予測を打ち出した――2020年には50億台の端末がインターネットにつながっている「ネットワーク社会」になる――だ。この予測は現在でも、来たる「モノのインターネット(IoT)」時代を表現するのに引用されている。そして、このネットワーク社会を実現する技術やサービスの提供が、ベストベルグ氏がエリクソンを導く先だ。「運輸、医療、メディア、教育などあらゆる業界がモバイルによるメリットを受ける。インターネットとモバイルにより、業界は様変わりする」とエリクソンでネットワーク社会のエバンジェリストを務める事業開発担当ディレクターのStephan Erne(ステファン・エルネ)氏は言う。

 ネットワーク社会戦略の部品となるのは、モバイル、ブロードバンド、クラウド。中でも、エリクソンの重点分野はクラウドだ。ITだけでなく、ネットワーク分野にもクラウドの波が押し寄せており、ネットワーク機能の仮想化などが進行している。機器とセットで提供してきたエリクソンにしてみれば、ビジネスモデルの変化を迫られるものだが、これを率先して進めていく。

iPhoneの登場とノキアの苦戦

 さて、ここでノキアを見てみよう。インフラを別にしたノキアはこの間、大きな浮き沈みを経験する。一時期は世界の携帯電話市場でシェア4割まで到達したものの、2007年にiPhoneが登場して以降の、タッチという端末側のハードウェアだけでなく、プラットフォームとエコシステムという新しいモバイル業界のビジネストレンドにすぐに乗れなかった。

2004年ごろのノキア本社。ヘルシンキから少し離れたところにあり「ノキアハウス」と言われていた
初代iPhone登場の2年前である2005年にリリースした3G端末「Nokia 6680」(写真は日本でボーダフォンから発売された「702NKII」)。PC連携できる“スマートフォンモデル”というキャッチフレーズだった。PCと連携できるのはもちろん、スマートフォン上でWordやExcel、PowerPointのファイルを閲覧できる

 タッチ操作する端末も、アプリストアや音楽販売の仕組みもiPhoneが初ではない。同様の機能を持つ端末を先行して販売していたノキアにしてみれば、iPhoneがAndroidを生み、Androidに自分たちのライバルが一気に流れるという構図になることが読めなかったのかもしれない。Symbianの買い取りとオープンソース化、Intelと立ち上げたMeeGoなど戦略の二転三転を経て、新しく就任したCEOの下で「Windows Phone」にフォーカスした。だが、ご記憶の通り、シェアは落ちる一方だった。

 そしてノキアは2014年、2013年秋に発表していた計画通りに、端末とサービスというかつての花形事業をMicrosoftに売却した。その値段は、わずか54億ユーロだった。

 →「Microsoft、Nokiaの携帯端末事業を買収」(2013年9月)

 →Microsoft、Nokia端末部門買収完了「Microsoft Mobile Oy」に(2014年4月)

マイクロソフトCEOのサティア・ナデラ氏(左)と元ノキアCEOのスティーブン・エロップ氏(右)

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