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» 2014年12月29日 08時00分 UPDATE

マッサンの遺言:「スーパーニッカ」は、ニッカウヰスキーの歴史を語る存在 (1/2)

リタおふくろが亡くなった翌年の1962年、政孝親父と共につくりあげた『スーパーニッカ』が発売された。これは、現在も私にとって特別なウイスキーである。

[竹鶴孝太郎・監修,Business Media 誠]

集中連載「マッサンの遺言」について

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本連載は、竹鶴孝太郎・監修、書籍『父・マッサンの遺言』(KADOKAWA/角川マガジンズ)から10部抜粋、編集しています。

2014年10月期にスタートしたNHK連続ドラマ小説「マッサン」。

小説のモデルになったのは、日本の本格ウイスキーづくりに情熱を傾けたニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝氏。マッサンとリタの素顔をその息子が語る。

ニッカウヰスキー2代目マスターブレンダー、竹鶴威の回想録。


特別なウイスキー

 リタおふくろが亡くなった翌年の1962年、政孝親父と共につくりあげた『スーパーニッカ』が発売された。これは、現在も私にとって特別なウイスキーである。3級ウイスキーづくりで感じていた焦燥感を一気に吹き飛ばしてくれた“恩人”、そして政孝親父の本物のウイスキーづくりに対する情熱そのもの。リタおふくろを亡くしてショックを受けていた政孝親父を再び立ち上がらせてくれた原動力でもあった。1953年に1、2、3級の級別が、特、1、2級に変わって以降、市場は2級を中心に伸びていた。

 当時は余市蒸溜所の原酒しかなかったが、その後、カフェ式連続蒸溜機の設置、宮城峡蒸溜所の設立でブレンドする原酒が増えるにつれて、『スーパーニッカ』は、より芳醇な香りと深い味わいを纏(まと)っていった。さまざまな商品をつくってきたが、この『スーパーニッカ』は、ニッカウヰスキーの歴史を語る存在でもあるのだ。

ks_factory.png 余市工場の研究室にて(出典:NIKKA WHISKY)

 当時は5棟しかなかった貯蔵庫でサンプルを採り、研究室にこもり、私は政孝親父と一緒に新しいウイスキーづくりに励んだ。設備もまだ現在ほど充実していなかったが、そのせいかどうか個性的な原酒が多かった。

 おかげで元気を取り戻した親父は、知人から勧められゴルフを始めた。シャフトがヒッコリーのクラブは、リタおふくろがスコットランドから持ち帰ってきたものだ。しかしリタおふくろが生きているときは一緒にプレーしたことはない。本場仕込みのリタおふくろは「シングル」であったらしいので、負けず嫌いの政孝親父はゴルフばかりは一緒に楽しむことがなかったのではないかともっぱらのうわさだった。

 いよいよ念願の新しいウイスキー『スーパーニッカ』が完成した。政孝親父は「ウイスキーが熟成するまでに何年もかかる。これは娘が大きくなれば嫁にやるのと一緒なのだから、立派な衣装を着せてやりたい」と言い、各務(かがみ)クリスタル(現・カガミクリスタル)にボトルづくりを依頼した。各務クリスタルは1955年に発売された『ゴールドニッカ』のボトルもつくっている。

 できあがったのは、宙吹き成形(※1)の後、カットを入れた豪華なものだった。ボトルをデザインしたのは佐藤潤四郎氏。独特の形は、中国の器からヒントを得たもので、ボトルの材質はセミクリスタルだった。手吹きなので栓の下とボトルの底に番号が刻まれており、これが一致しないと栓が閉まらない。お見事、と感心したのはラベルを貼る箇所だった。真っ赤に焼けたガラスを、濡らした真新しい新聞紙に軽く滑らせて平らにする。インクの油分がガラスの滑りをスムーズにするので、油分の残っていない古新聞ではだめなのである。あまり押さえすぎると平べったくなってしまうし、足りないとラベルがきちんと貼れない。あの何とも繊細な胴の膨らみは文字通り職人技。素晴らしい花嫁衣裳である。

※1 ガラス製品を型を使用せずに吹きだけで仕上げる製法。1つひとつが手づくり品ということになる。

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