なぜLINEの「既読スルー」にイラッとするのか コンセンサスなき紛争烏賀陽弘道の時事日想(4/5 ページ)

» 2014年12月04日 08時00分 公開
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

Facebbokの「いいね!」をめぐっての摩擦

Facebookの「いいね!」をめぐってのトラブルも多い!? 

 Facebookの「いいね!」をめぐる摩擦もある。奥さんや彼女がその日の献立や、子どもが野球やサッカーチームで活躍する姿、ペットの愛らしい姿の写真・動画などをアップしていた。が、旦那や彼氏が「いいね!」ボタンを押さなかった。すると「無視している」と怒られた、機嫌が悪い、もう私なんか興味がないのねと泣かれた、などなど(もちろん、男女逆もある)。

 奥さん・彼女側は自分の投稿に「いいね!」を押さないことは「自分への関心や興味が低い意思表示」と認識している。しかし、旦那・彼氏側にはそんな認識はない。実は「ああ、がんばっているなあ」と内心では感動しているかもしれない。ただ単に「いいね!」ボタンを押さなかっただけかもしれない。両者の間にはコンセンサスが存在しないのだ。

 反対に、PTAや地元商店会、ご近所などで自分と対立する人物の投稿に「いいね!」を押した人を全部チェックして、それを「敵」とみなす人も実在する。私はそんなことを考えたこともないので驚愕(きょうがく)する。

 人間のコミュニケーションには「快・不快」の了解事項が長年の間にできあがってきた。直接対面型のコミュニケーションだと、その多くは「礼儀」として広く了解されている。日本人だと最初に頭を下げて礼をするし、欧米人は握手する。どちらも「敵意や攻撃の意思がない」という表明である。「相手の話をさえぎらない」「相手の目を見ているのは、聞いているという意思表示」「相づちを打っても賛成しているとは限らない」など、さらに細かい了解事項も多数ある。

 ここにメディアが介在するようになっても、いろいろな了解事項ができていた。手紙の約束事や礼儀作法(例:拝啓で始めたら敬具で結ぶ、など)は「手紙辞典」という本になって売っていた。忌中の人は年賀状を出さない、というのもそのひとつだ。

 そこまで遡(さかのぼ)らなくても、私が十代のころは、携帯電話が登場する前だったから「固定(有線)電話」が主流だった。そこでは「相手がまだ話しているのに、途中で電話を叩き切る」のは非常に無礼な行為とされた。それこそ宣戦布告か国交断絶にも等しい行為だった。私の母親(1939年生まれ)は礼儀にうるさかったので「目上の人より先に切ってはいけない」「大きな音でガチャンと受話器を置くのは失礼」と若者だった私に口を酸っぱくして言っていた。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.