なぜLINEの「既読スルー」にイラッとするのか コンセンサスなき紛争烏賀陽弘道の時事日想(2/5 ページ)

» 2014年12月04日 08時00分 公開
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

「快・不快のコンセンサス」が完全に瓦解

2010〜2011年ごろ「「SNSユーフォリア(有頂天)」が喧伝された

 「Twtterでつぶやくと社会が変わる」「Twitterが3.11の災害救助で大活躍」――。

 などなど「SNSユーフォリア(有頂天)」が喧伝(けんでん)されたのは2010〜11年ごろである。それ以来、インターネット(特にSNS)はユートピアだけではなく、ディストピア(ユートピアの逆)的な現実ももたらすことは、人々は学習したのではないか(関連記事)

 一連のLINE既読スルー事件で私が興味をもったのは、長い時間をかけて社会がつちかってきたコミュニケーションに関する「快・不快のコンセンサス(了解事項)」が完全に瓦解してしまった、という事実だ。

 冒頭の男性が驚いたのは「LINEで送られてきたメッセージを読んでも返事をしないと、それは相手にとっては暴行に及ぶほど不快なことだ」という暴行に及んだ側の認識が、あまりにも彼の認識からかけ離れていたからである。が、事件を起こした若者たちにとっては、LINEのメッセージを送って「既読」になっているのに返事がないというのは「国交断絶」「宣戦布告」「最後通牒」に似た不快極まる行為だったのだろう。

 ここで両者の間には「LINEの既読スルーをどう受け取るか」という共通理解がまったく存在しないことに気づく。この認識のズレは「40歳代男性」と「10代の若者」という年齢差が起こしたのではない。「LINEを使っているかどうか」というコミュニケーション・メディアの差である(そもそも、LINEを使わない人、あるいはSNSやネットを使わない人にとっては、この若者たちの「逆上」はまったく理解不可能である)。

 これはあながち当て推量ではない。これまで、新しいSNSが登場し普及するたびに、特定のユーザーの間に生まれたあるコンセンサスが、別のユーザーにはまったく了解されておらず、両者の間で摩擦が起きる、という現象を、私は頻繁に目撃してきたからだ。

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