乗り物文化の重鎮を追悼 種村直樹さん、徳大寺有恒さん杉山淳一の時事日想(2/6 ページ)

» 2014年11月14日 08時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

鉄道旅行術の功績

 種村さんの鉄道旅行術は、旅程の作り方、きっぷの買い方、持ち物、車内での過ごし方など、ご自身の体験談を交えた助言が豊富だった。鉄道は移動手段ではなく、移動そのものが楽しむ目的であると宣言された。その中でも、私は「ゲームのような汽車旅」という項目に開眼された。日本の鉄道の全線に乗ろう、一筆書きのような最長片道切符の旅もあるぞ。そんな提案に少年時代の私はシビれた。

種村直樹「鉄道旅行術」JTB発行の最終版(1998年)。編集には多くのお弟子さんがかかわったという 種村直樹「鉄道旅行術」JTB発行の最終版(1998年)。編集には多くのお弟子さんがかかわったという

 当時も“乗り鉄”はたくさんいたと思うけれど、ただ列車に乗るだけの旅など、社会的には認知されなかった。内田百けん(門の中に耳)さんの「阿房列車」や、阿川弘之さんの「南蛮阿房列車」が高名な文筆家の変わった行動として楽しまれていた時代である。

 しかし種村さんは、鉄道に乗る旅を「誰もが楽しめるもの」と公言してくださった。中学生の私は、遠出も泊まりがけの旅も許されず、毎日、ほんとうに毎日、鉄道旅行術をめくり、旅立つ日を夢見ていた。実際に旅立つ前に本が傷み、何回か同書を買い直した。種村さんは増刷に当たり、最新の情報を盛り込まれた。そのうちに新版を必ず買う習わしになった。

 鉄道旅行術には、鉄道の旅というテーマに絞りつつ「現地では定期観光バスに乗ってみよう」という提案もあった。旅先の出会いの楽しさも触れていた。鉄道だけではなく、もっと視野を広げなさい、という呼び掛けだったと思う。種村さんは読者との交流を大切にする方で、手紙には必ず返信されたようだ。私は手紙を出さなかったけれど、高校時代に友人が手紙を出し、返信されたハガキを見せてくれた。新聞記者時代に培ったと思われる速記体のような文字だった。その難読文字は鉄道ファンによく知られていた。ネットのない時代だったから、かなりの数を返信したからこそ広まった。

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