本連載は黒川裕一著、書籍『人を動かす言葉の技術』(中経出版)から一部抜粋、編集しています。
上司に提案をしても通らず、後輩に何を言っても気の抜けた返事ばかり。努力のわりに、相手が動かない――、そんなことはありませんか?
相手が動かないのは、やる気がないわけでも、あなたのことが嫌いなわけでもありません。言葉には「相手が動く言葉」と「動かない言葉」があるのです。
今日からは、「これ、分かった?」ではなく「これ、次は1人でできる?」と言いましょう。自分の考えを100%伝えきる「アクション言語」が身につく1冊です。
上司が部下に、仕事の指示出しをしています。部下にポイントを伝え、「分かった?」と確認すると、「分かりました」という返事。
上司:「さっき説明した、新商品のプレゼン準備の件なんだけど、やること分かった?」
部下:「ええ、分かりました」
あなたが上司だとしましょう。部下は「分かりました」と言っていますし、ひと安心して自分の仕事に戻ります。ところが、数日後にふとこの部下のほうを見ると、あなたの指示したのとはまったく違うことをやっています。そんなときにあなたの頭をよぎるのは、「おまえ、『分かった』って言ったじゃないか!」という言葉ではないでしょうか。
逆に、あなたが部下だとしましょう。「分かった?」と言われたので「分かりました」と答え、言われたとおりにしていたつもりが、上司に「指示と違う!」と叱られてしまう。自分では分かったつもりだし、指示にも従ったつもり。「指示の出し方のほうが問題じゃないの?」と思うけれども、まさか口に出すわけにはいきません。
これでは、上司、部下、いずれの立場であっても、明らかにストレスがたまります。そして、こういうことは、毎日どころか毎分毎秒、どこの職場でも起きています。
さらにいえば、親子、夫婦、友人など、ありとあらゆる関係においても、同様のことが起きています。こういう経験をしたことがない人は、1人もいないはずです。
ということは、このようなコミュニケーションストレスは、「私が口下手だから」「相手の聞く態度がなっていないから」というような、1人ひとりの個人的な問題ではないということになります。言葉というツールとコミュニケーションという営みがもつ根本的な何かのせいで、このストレスは引き起こされているのです。
では、それは一体、何でしょうか。
ズバリ、「人は常にラクをしたがる生き物だから」です。
例えば、先ほどの「分かる」という言葉。私たちは誰もが何かを「分かった」と感じた経験をもっています。その感覚がほかの人と同じかどうかは確かめようがありませんが、何となく「同じようなものだろう」と想像し、それが裏切られない限り、とくに疑うことなく「分かる」という言葉を用いてコミュニケーションを続けます。
なぜなら、1つひとつの言葉をいちいち疑っていては面倒だし、時間がかかって仕方がないからです。
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