土肥: そうなると「この白いモノはなに?」という人は少なくなって、「これってマヨネーズですよね? おいしいなあ」といった人が増えてきた?
広報: ですね。さっき食べたマヨネーズがおいしかったから、帰りにスーパーで買っていこうという流れができてきました。
土肥: 外食のチカラって大きいですね。
広報: ものすごく大きいですね。ここで簡単に日本でマヨネーズがどのように普及していったかを紹介させてください。創業者の中島董一郎がアメリカ留学しているときに、現地のマヨネーズと出会いました。栄養価が高いし、おいしいし、安いし――ということで、いつか日本に持ち帰って日本人の体格向上につながればいいなあと思っていました。
帰国後、1919年に会社を設立したのですが、当時の日本は完全に和食。「いまマヨネーズを販売しても厳しいだろうなあ」ということで、いつ販売すればいいのかタイミングを狙っていました。その後、関東大震災が起きて、次々に建物が変わっていった。同時に、洋服を着る日本人が増えていった。「このタイミングであれば大丈夫かもしれない」ということで、1925年にマヨネーズを発売しました。
とはいっても、誰もマヨネーズのことを知らないので、地道に、地道に営業活動をしていました。徐々に認知されていくのですが、最大のターニングポイントは1958年。それまでのマヨネーズは瓶の中に詰めていたのですが、この年にポリボトルで販売しました。製造ラインの稼働が合理化されて、価格を下げることができました。また、消費者にとっては使い勝手がいいモノになったので、売り上げがアップしました。
土肥: 安くなって+使い勝手がよくなって=たくさん売れた。いい循環で回り始めたわけですね。
広報: はい。さらに、洋食文化がどんどん広がっていったので、マヨネーズを利用する人が増えていきました。
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