「アイスバケツチャレンジ」にある種の「いかがわしさ」を感じてしまう理由窪田順生の時事日想(2/3 ページ)

» 2014年09月02日 08時01分 公開
[窪田順生,Business Media 誠]

「小さなキセキ、大きなキセキ」を実践

 2002年夏、黄色いTシャツならぬ青いTシャツを身にまとった「善意の人」が日本全国を駆け回ったことがある。

 名前は仮にXさんとしておこう。沖縄県那覇市のNPO「沖縄国際平和村建設実行委員」の代表を務めるXさん(当時54歳)は、地元の子どもや修学旅行生に沖縄戦の悲惨さを伝えるなどの平和教育に尽力をするかたわらで、地雷被害児に先端医療を受けさせる施設「平和村」の建設のため募金活動をしていた。建設費用はおよそ10億。インターネットでどうにか1億は集めたが、まだまだ足りない。そこで、青いTシャツを着て自転車で全国行脚をすることで建設費を募ろうとした。24時間テレビでいうところの「小さなキセキ、大きなキセキ」を実践しようというわけだ。

 そんなの非のうちどころのない「善意の人」をマスコミが放っておくわけがない。それに拍車をかけたのが、Xさんが語る自身のドラマチックな半生だ。

 Xさんは30年前、ベトナム戦争下のインドシナ半島で、地元民の医療を支援する米国の医師団に出会った。「命の危険も顧みず、苦しむ人を助ける活動に加わりたい」。米国で医師免許を取りニューヨーク市立病院の脳神経外科医になった。有給のまま医療ボランティアとして紛争国に行くことができた。カンボジアやインドネシア、アフガニスタンを回った。「国境なき医師団」に参加したこともあるという。だが、3本ある心臓の動脈を病気で1本失い、退職。(朝日新聞熊本版2002年5月9日付)

 こんな人が青いTシャツを着て自分の近所をチャリンコで通る。少しでも役にたちたいと思うのは当然だろう。沖縄を出発したXさんは、行く先々でマスコミに取り上げられ、それを見た人が寄付するという「善意の輪」がつながっていく。『朝日新聞』だけでも岡山版(6月8日)、奈良版(6月26日)、三重版(6月23日)、京都版(6月29日)、滋賀版(7月1日)、福島版(8月8日)、北海道版(8月25日)、秋田版(9月3日)、山形版(9月14日)と紙面をにぎわせて、時には立ち寄った先では講演なども行った。

 だが、ほどなくこのXさんが医師免許を持っておらず、カンボジアやインドネシアうんたらかんたらというのもすべてつくり話だったことが明らかになる。ご本人はこんな釈明をした。

 「医療活動」というつもりだったが、それが医師であるかように伝わり、訂正しないまま、自分でもその話に帳尻を合わせてきた。(朝日新聞9月28日)

 「現代のベートーベン」とも呼ばれた佐村河内さんにも重なる苦しい言い訳だが(関連記事)、それよりもXさんに「善意」を託した人たちがショックを受けたのは、「平和村」構想までまったくのデマカセだったことだ。「希望を語ったことが実現できるように伝わってしまった」というXさん自身の言葉からも分かるように、「こんなこといいな、できたらいいな」というレベルの「善意」だったのである。

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