「イッパンジン」がドクターイエローの写真を撮る理由杉山淳一の時事日想(4/5 ページ)

» 2014年08月08日 08時00分 公開
[杉山淳一Business Media 誠]

「趣味」は生存本能の代償行動である

 人類の歴史上「狩猟」「採集」は食料を得る行為であり、生きるために不可欠であった。

 少し遅れて始まった「栽培」もそうだ。生きていくために食料が必要で、食料を求める行為をしなくなると飢え死にする。だから「狩猟」「採集」「栽培」は人間の本能だ。私たちの行動の基本である。農業、漁業、狩猟業に従事しない人も、「狩猟」「採集」「栽培」の本能は脳みそにしっかり残されている。大げさに言うとDNAにたたき込まれている。

 ところが、人類の歴史上に大変革が起きて「狩猟」「採集」「栽培」をしなくても生活できる人がたくさん現れた。その大変革とは「貨幣経済」である。おカネがあれば食料を得られる。肉や魚を得るための銃や釣り竿はいらない。木の実を集める必要もない。畑もいらない。そんな人が増えた。

 「狩猟」「採集」「栽培」は必要なくなった。しかし、悲しいかな。本能として「狩猟」「採集」「栽培」をしたくなってしまう。心が満たされなくなる。そこで始まった行為が、食べ物以外を対象として「狩猟」「採集」「栽培」する行為である。これが趣味の正体だ。人間にとって、趣味は生きていくために必要な欲求を満たす行為である。歴史上、趣味を楽しみ、極めた人は、王族・貴族など権力の上層階級であり、自ら「狩猟」「採集」「栽培」をしなくてもいい人たちばかりであった。何もしなくても食べられるけれど、人である限り、何かをしなくては落ち着かないというわけだ。

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