号泣県議・野々村さんは、兵庫県議会に比べたらよっぽど政治家らしい窪田順生の時事日想(2/4 ページ)

» 2014年07月15日 08時00分 公開
[窪田順生,Business Media 誠]

「理論」の正体

 河村たかしの主張はシンプルで、要は「政治家だってカネは必要だ。ただ、もらい過ぎだ」と言っているのだ。

 一党独裁の社会主義国家でもないかぎり、「議員」に4000万とか2000万などという税金を無条件で渡している酔狂な国はない。つまり、日本の政治家は「世界一おいしい商売」なのだ。こういう特権にあぐらをかいて、「親子三代やってます」みたいな人たちが、社会システムの変革や不正の追及ができるわけがない。

 カネをあげすぎるから、「政治」よりも「政治で生計をたてる」ことに執心するので、世界の常識に照らし合わせて、「議員」を「おいしい商売」にしない。世界一汚職が少ないとされるニュージーランドや、北欧の国の議員は年収300〜600万程度である。

 なーんて話を、ある時、知人の政治部記者たちにしたことがある。彼らはみな「チッ、これだから素人は」みたいな顔をして、こんなことを言ってきた。

 「年収600万の政治家じゃあキャリア官僚や財界の連中に丸め込まれますよ。世の中を変える政治をするためには、やはりある程度は我々国民が食わせるべきですよ。選挙にもカネがかかりますし……」

 新聞記者の「高給理論」を思わせる彼らの話にじっくりと耳を傾けていたら、あの時感じた“不快さ”の正体も見えてきた。それは日本の権力中枢にまん延する、こんな思想である。

 「立派な人でも貧すれば鈍する。だから、カネで苦労をさせないようみんなで養うべきだ」

 中国共産党の幹部や北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)さんが演説でふりまいてそうなロジックを、この国のエリートとされる人たちが揃いも揃って「それが民主主義でしょ」みたいな顔で語っているというのが、私的には蕁麻疹(じんましん)ができるほど気色悪かったというわけだ。

 ただ、この思想の源流をつきつめていくと、面白いことが分かる。

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