少しだけ、気仙沼の人々とサメの関わりについても触れておきたい。
その歴史は長く、江戸時代末期にまでさかのぼる。中国をはじめとする近隣国からの外貨獲得のため、幕府がフカヒレの輸出を熱心に推進した。結果として、この時期に加工技術が一気に向上した。伝統的な天日干しの技法では、冬場に吹く乾いた風「室根おろし」を生かし、3カ月に渡ってヒレを乾燥。じわじわと時間をかけることでうまみ成分のアミノ酸が増え、不純物の邪魔なく、だしを含みやすくなるのだという。
そして、ヒレをとったあとのサメの魚体は市場へ出回り、町人がカマボコやちくわなどの練り製品に加工して食べるようになった。水分が多く、空気を抱き込みやすいヨシキリザメの身質を生かして開発された練りものの代表格が「ハンペン」だ。最盛期の明治中期には気仙沼近郊だけで150のカマボコ店があったと聞く。
さらに近年は、船上での下処理や冷凍保存技術が高まったことで「サメ肉は刺身で食べられるほど鮮度高く輸送できるようになった」(サメの街気仙沼構想推進協議会)という。調理された白身はクセのない淡泊な味わい、そしてふわふわした食感が特徴で、最近では中華料理や和食などを中心に、すり身以外でも活用されている。サメ肉はアンモニア臭が苦手、という人もいるが、おそらくそれは技術が未熟だった時代のこと。海外ではほとんど食べられず、スポーツフィッシングの対象にされることも多いが、気仙沼において、サメ肉はそれこそ小学校の給食でも日常的に食べられている。
加えて皮や軟骨まで生かしていることにも土地の人は誇りを持っている。例えばコンドロイチンやコラーゲンといった有効成分を含む軟骨はパウダーにしてサプリメントに、独特の形状を有するウロコはワサビの下ろし金ややすりに、丈夫で水に強い皮はなめしてハンドバッグやベルトなどの革製品に、といった具合だ。さらに最近では、サメの構造や泳ぎに着眼した研究も進み、避抵抗(水から受ける抵抗を減らす)仕組みの一部が競泳用水着に転用されたのも記憶に新しい。
こうした背景をふまえ、2013年7月には漁業組合、商工会議所、水産加工業者、飲食店、自治体など地域が一体となってサメの魅力を発信すべく「サメの街気仙沼構想推進協議会」が立ち上がった。「サメの街=気仙沼」としてのブランド強化を推進していく構えだ。
「気仙沼ふかひれ丼」。こうした活動を強力的に後押しをしていくものとしても大きな期待を背負っている。
……と、書いたところで気がついた。そういえばおなかがぺこぺこだ! おかわり!!
価格:5000〜6000円(税別)
開発:気仙沼寿司組合
提供店:「寿し処大政」「新富寿し」「ゆう寿司バイパス店」「ゆう寿司田谷店」「福助寿司」「巴鮨」「すし処和禅」「寿司処一心」「すし処鮨智」「すし屋の泰平」(以上、気仙沼地区)「食楽まるきん」「若葉鮨」(以上、唐桑地区)「鮨処えんどう」(本吉地区)「すし・丼ぶりの店くう海」(南三陸町)
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