今回結集した店舗の職人は、みんなそれぞれに、いろいろなものを失った。もともと「究極のふかひれ丼」の素材を提供していた水産加工会社の社長も、津波により命を落とした。
「悔しいですよね、仲間がいないと。でも『社長のためにも一所懸命、鮨を握らないと』と、思ってやってきた。『何やってんだ』『がんばれ』と、どこからか聞こえてくる声に励まされ、ここまできた」(気仙沼寿司組合組合長、寿司処大政代表の清水直喜氏)。
清水氏は「流され寿司 握り職人衆」の活動でも知られる。
同じく店を失った新富寿しの鈴木真和・和洋兄弟、ゆう寿司 バイパス店代表の加藤昌之氏とともに、被災直後から4人で“包丁1本さらしに巻いて”全国を巡ってきた。「気仙沼のことを応援してくれた全国の皆さんへの、せめてもの恩返しになるなら」と、メカジキやマグロ、フカヒレなど気仙沼の食材を運んでは寿司を握った。北は北海道・函館から南は愛媛・新居浜まで、寿司を握ったイベントは約40を数える。
「店は流されたけれど、腕が流されたわけじゃない。津波に遭ったことなんかはもう過去ですよ。亡くなった人もいるけれど、それでも仕方ない。1歩1歩前に進んでいかないと」と、清水氏は言う。
ともに全国をまわった新富寿しの鈴木真和氏も店を失った。15歳で店の創業者である父を亡くした鈴木氏は母と弟・和洋氏とずっと気仙沼で過ごし、24歳で借金をして店を興した。その借金を返しきる前に、震災が発生した。津波が、押し流されてきた木材やコンクリートが、店を粉々に砕いていった。
現在41歳の鈴木氏は、再度借金をして2014年1月24日に新店舗を開いた。「応援していただいたからには元気にがんばって仕事している姿を見ていただく。それが一番の恩返しと信じている」(鈴木氏)。そうして前を向いてきた鈴木氏が「気仙沼ふかひれ丼」復活の日、「今日は本当に最高、最良の日。亡くなった組合員の親方やおかみさんによい姿を見せられた」と、腹の底からの満面の笑顔を見せた。
鈴木氏に関わらず、「気仙沼ふかひれ丼」の復活は、この日参加したすべての職人にとって、一つの大きな区切りであり、それまでの3年間を支えた希望でもあった。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング