本田圭佑と松井秀喜、スーパースター二人の意外な共通点臼北信行のスポーツ裏ネタ通信(3/4 ページ)

» 2014年06月12日 08時00分 公開
[臼北信行,Business Media 誠]

本田圭佑と松井秀喜、二人の共通点

 現役時代の松井氏は言うまでもなく、巨人やニューヨーク・ヤンキースなど日米の名門球団に所属していた野球界のスーパースター。サッカー選手の本田とは縁がないように思えるが、実は二人を結びつける大きな共通項がある。ともに石川県・星稜高校のOBであるという点だ。

photo 松井秀喜ベースボールミュージアム公式Webサイト

 1992年の夏の甲子園に出場した松井氏が星稜高野球部の一員として、明徳義塾(高知)を相手に伝説の5打席連続敬遠を受けた。その10年後の2002年、本田は星稜高サッカー部に入部した。彼は当時、地元プロチーム・ガンバ大阪のジュニアユースに所属していたが、ユース昇格の内定を得られなかったことで他県のサッカー強豪校・星稜へ進学する意思を固めた。

 「星稜と聞けば、誰もが松井さんを思い浮かべる。でも星稜は野球だけじゃなくてサッカーも強いんだ。そしてゆくゆくは周りから“星稜=本田”と思われるようになりたい」

 当時、本田は同級生たちにこう語っていたという。地元でユースに昇格できなかった挫折から心機一転、本田はサッカーと野球という違いはあるものの、同じ母校の大先輩である松井氏を意識しながら猛練習を重ねて飛躍し、今日がある。一心不乱にトレーニングばかりする姿が滑稽(こっけい)に映り、当初は周りの女子生徒から「まるでゴリラみたい」(当時のあだ名は「ゴリ」だったそうだ)と笑われて見向きもされなかったが、主力として結果を出し続けると、後々には常に黄色い声援を浴びる存在となった。3年生時に主力として全国高校サッカー選手権でチームを石川県勢として初のベスト4に導いたのは、その金字塔だ。すべては「オレは松井さんのようになりたい。いや、超えたい」と思い続けていたからこそ、成し遂げた成果であった。

 その気持ちはプロに入ってからも何ら変わっていない。こんなエピソードがある。2008年1月に名古屋グランパスエイトからVVVフェンロ(オランダ)へ移籍した直後、松井とも親しい母校先輩OBに本田はこんな質問を投げかけた。

 「松井さんって今、一体なんぼもらってるんですか?」

 当時の松井氏はメジャーリーグの名門球団であるニューヨーク・ヤンキースで1300万ドル(日本円換算、約13億3000万円)の年俸を手にしていた。それを知った本田は「ふぅーっ」と深いため息をつきながら「ということは、13億円以上(2008年上半期当時のレートも同様)ですよね。自分なんてまだまだだなあ。やっぱり松井さんはすごい存在ですし、目標ですよ」と口にしたという。VVVフェンロで得ていた当時の年俸は82万ユーロ(約1億1000万円)だっただけに、素直に驚いたのであろう。

 そして、この頃の松井氏が深刻な右ひざ痛に悩まされていたことも本田は耳にした。だが松井氏は右ひざ痛を見事に克服し、1年後の2009年10月に日本人として初めてワールドシリーズMVPに輝く。そこに至るまで、右ひざ痛によって満足なプレイができずに結果が付いてこないことも多々あったが、松井氏は自身のコンディショニングについてメディアには一切コメントを口にしようとしなかった。「コンディションが悪いのは自分の責任。だからそれを自分からメディアにしゃべったらプロとして恥ずかしいし、言い訳になる。とにかく黙って試合で結果を出すことがプロの定め」というのが松井氏の考え。こうした“ゴジラの主義”についても前出のOBから後々に聞かされた本田は強い感銘を受け、こう口にしたそうだ。

 「松井先輩はさすがですね。自分も、そうありたいと思います」

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