慶應の経済学部のエリートの大半は銀行に就職していたため、北尾さんも三菱銀行に行こうと決めていた。野村證券に進んだ先輩が下宿を訪ねてきたのは、そんなときだった。
「『北尾くん、(野村證券に)入ってくれとは言わない。でも先輩後輩として知り合ったんだから、最後に飲もうじゃないか』と、ウィスキーを2〜3本ぶらさげて来られた。最初の言葉どおり、結局就職のことは何も言われなかったのだけれど、帰られるときの後姿を見て『人生意気に感ず』(人は利害や打算によってではなく、相手の心意気に感動して動くものだ)ということがあるなと感じたんです。そこまで僕のことを懸命に考えてくれているのかと感銘を受け、その翌日に三菱銀行へ辞退を申し出ました。そうして入った野村證券は、私を非常に歓待してくれました」
野村證券では総合企画室勤務となり、しばらくした後会社の留学制度に選抜され、ケンブリッジ大学へ留学した。
「ケンブリッジ大学で学んだ専門知識とともに、そこで得た最大の経験は、異文化であるアングロサクソンの世界に入っていったこと。そして『馬鹿になる』経験をしたことです。言葉が分からないから、言いたいことを言えない、聞こうと思っても理解できない。人間、馬鹿になるというのは非常に大事な経験で、人の痛みが分かるようになりました。その経験がなかったら、海外のビジネスはできなかったでしょうね」
ケンブリッジ大学留学と米国・ニューヨーク、英国・ロンドンでの勤務を合わせ、海外で11年間過ごした。しかし、そののち野村證券は不祥事を起こし、繁栄の時代に終止符を打つことに。そんななか、北尾さんはある人物から連絡を受ける。
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