“リクルート流”とは何か? 中国でそれが通じた瞬間新連載・上阪徹が探る、リクルートのリアル(5/6 ページ)

» 2014年03月28日 00時00分 公開
[上阪徹,Business Media 誠]

入社4年目、経営企画部へ

 面白いのは、ここからである。中国人は、合理的なのだ。

 「翌日から、『ダイビングキャンペーンは、われわれのメソッドなんだ』といけしゃあしゃあと僕に向かって言ってくるわけです(笑)。『これこそが、勝ちパターンだ』と。成果さえあれば、彼らは合理的に行動するんです。だから、入り口で判断させたらダメなんです」

 舘氏のキャリアに戻ろう。入社3年目を前に、大企業を取引先にするセクションへの異動を申し出た。MVP受賞者だ。実現は可能と思えた。ところがこの年、リクルートが10数年ぶりに数十名の中途採用を行うと決めた。異動先は、予想もしない人事採用だった。

 「抗議の電話を上司にしたら、『今度はリクルートという会社をセールスしろ』と、用意していたかのようなことを言われてしまいまして……」

 第二新卒から、40歳くらいまで、多くの人材の採用に携わった。頻繁に行われる説明会と面接。連日、上司と2人でてんてこ舞いになった。

 「1500人くらい面接しました。一次面接か二次面接を担当して、最終の役員面接に送る。責任重大ですよ。でも、このとき採用した人たちが後に活躍されるんですね」

 そしてこの配属が次の配属を呼び込む。

 「人材系の仕事をしていましたから、事業は人なり、という思いが強かったんです。ところが実際には、人事の上のフロアにあった経営企画室からいろいろ物事が降りてくるわけですね。なるほど、動かしているのは、ここか、と」

 人と戦略は両輪。人だけ分かっていても経営はできない。舘氏は、自分の思いを手紙にしたため、一緒に面接を担当していた人事担当の役員に手渡した。これが通ってしまう。4年目、経営企画部へ。

人事部時代の舘さん

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.