“葬式鉄”に学ぶ、不要なモノと別れる方法杉山淳一の時事日想(3/5 ページ)

» 2013年12月20日 06時52分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

日本に根強い“九十九神”の思想

 大切なもの、愛好するものに対してお別れをするには、“けじめ”が必要だ。それは趣味の対象だけではない。最たるものは人との別れで、死別なら葬儀、新たな門出なら卒業式や送別会となる。次にモノとの別れがある。趣味の対象だけではなく、私たちは仕事の道具や縁起物などに対しても、ききちんとお別れをしないとけじめがつかない。

 鉄道車両や路線、列車に対して“お別れのけじめ”なんて滑稽(こっけい)だと思うかもしれない。しかし、私たちの生活や文化にはモノに対する“お別れ”がいくつもある。例えば「針供養」だ。使えなくなった縫い針を供養し、裁縫の上達を願う儀式がある。「お焚き上げ」という儀式もある。御札や御守り、破魔矢(はまや:正月の縁起物として寺院・神社で授与される矢)、神棚の飾りなどを供養し燃やす。故人の遺品のうち、形見として引き取り手のないモノもお焚き上げで供養する。ここでいう「供養」は、要するに処分である。捨てづらいモノを捨てるための儀式だ。

 道具には霊が宿る。愛着のあるモノは捨てがたい。こうした習慣は、民族や地域にかかわらず、文化の発達した地域によく見られるという。日本ではこの考え方に名前が付いている。「九十九神(付喪神:つくもがみ)」だ。長い間、生活を共にした道具、ペット、山や川などの自然に至るまで、そこには神が宿っている。八百万の神を崇拝する日本ならではの命名である。『トイレの神様』という歌もあったけれど、どんなモノにも神が宿る。神が宿っているから粗末にしてはいけない。そんな考え方が染み付いている。

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