橋本龍太郎をも盗聴していた米国「経済スパイ」の真実伊吹太歩の時事日想(2/3 ページ)

» 2013年11月28日 10時00分 公開
[伊吹太歩,Business Media 誠]

日米自動車貿易摩擦の背後で暗躍した米スパイ軍団

 まず当時の時代背景を簡単に説明すると、米国はビル・クリントン大統領が、日本は村山富市首相が国を率いていた。クリントン大統領は、米国の競争力と利益を維持する名目で、CIAなどによる諸外国に対する経済的なスパイ行為を重視していた大統領として知られる。

 当時日米は、自動車の貿易に関して摩擦を起こしていた。日本メーカーの米市場での台頭に、米メーカーがかなりの苦戦を強いられていたからだ。そして1995年に合意された自動車の輸出枠などを規定する日米自動車協定の締結に向けた協議が行われていた。

 クリントン政権は日本メーカーの高級車輸入を妨害するために、関税を課すという事実上の「制裁措置」を取ると日本政府に脅しをかけていた。

 米国通商代表部の貿易担当チームは会議や交渉などどこに行くにも、数名からなる諜報機関職員チームを帯同させていた。このスパイチームは、毎朝、当時ミッキー・カンター米通商代表に、東京に駐在するCIAとNSAの職員が集めた機密情報の内容を報告していた。

橋本龍太郎 橋本龍太郎氏のWebサイト

 その内容は、日本の官僚と日米の摩擦を解決したい自動車メーカー幹部との会話を盗聴した内容や、当時の橋本龍太郎 通商産業大臣の動向などの情報だった。橋本氏自身も盗聴されていたとみられている。米国は、自動車メーカーが日本政府にどんな相談をして、日本政府がどんな「思惑」で、どんな「指示」をしているのかを探っていた。

 そして交渉も大詰めの1994年、ジューネーブで行われた日米交渉で、カンターは通常どおり、CIAのスパイチーム数名とともに日米交渉の会場だったインターコンチネンタルホテルに入り、どのように日本に圧力をかけるのかを話しあった。どうすれば交渉で優位に立てるか、CIAやNSAの盗聴といった「作戦」を参考にしながら検討を行ったという。

 ちなみに当時、日本政府の盗聴対策は外務省が行っており、通産省はそれを好ましく思っていなかった。通産省関係者は外務省が提供する盗聴防止使用の電話を使わないという抵抗を見せていた。米国はそんな国内事情まで把握していたという。

 また同じ時期にフランスでもCIAの工作員4人が経済的なスパイ行為で国外通報になっている。要するに、米国はあちこちで同様の作戦を行っていたとみられている。

米国のスパイ行為に形だけの抗議で済ませた日本政府

 日本政府はこのスパイ行為が判明した際に、表向きには抗議を行った。だが当時の野坂浩賢 内閣官房長官は、「信頼関係を維持するために、米政府に事実関係を尋ねるのは自然なことだ」とコメントするにとどまっている。だが米当局者らは、「世界中に支部を置く日本貿易振興機構(ジェトロ)だって経済的なスパイのようなことをしているではないか」と反論したという。

 CIAはこうした諜報活動を隠そうともしなかった。1993年には、当時就任したばかりのジェームス・ウールセイCIA長官が、経済的な諜報活動がCIAの新たな重要任務になると発言。しかも同盟国である日本やドイツ、フランスだってその対象である、と断言した。ウールセイは当時、フランス当局が米国の企業幹部に対してスパイ行為を行っているとも暴露し、その手口は滞在先のホテルを盗聴したり、資料を盗んだりするようなものだったと言及している。

 ちなみに諜報活動で米政府に協力する国が日本をスパイすることもある。オーストラリア当局は、長きにわたり日本企業から交渉条件などの情報を盗み、英豪系鉱業大手BHPビリトンといった民間企業に情報を提供していた。こうした話は、関係者の間ではよく知られている。

 とにかく政治的も経済的にも、米国をはじめ各国があの手この手で諜報活動を行っているのは以前より常識である。経済的なスパイ活動は恐らくその後も日常的に行われているはずだ。そう見ると、スノーデンの暴露は意外でも何でもないのかもしれない。

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