失敗することにびびってないか?――メガネECベンチャー創業者がスタンフォードで学んだことこれからの働き方、新時代のリーダー(2/4 ページ)

» 2013年11月05日 16時00分 公開
[岡田大助,Business Media 誠]

同級生が目の前で成功者になったという衝撃

清川: 例えば、同じ授業を履修していたインド人がいまして、「ニュースをもっと読みやすくする。ニュースを読むという概念を変える」と言い出すわけです。正直なところ「こいつ、何言ってんだ?」となるんですよ。口頭で説明するだけで、プレゼンテーション資料は作ってこない。そうこうしていると、エンジニアリングスクールの学生はアプリを作って実演し始めてしまう。そのニュースアグリゲーションアプリ「Pulse」は、その後、LinkedInに100億円くらいで買収されました。

岡田: スピード感がぜんぜん違いますね。日本だとビジネスのアオリに「構想○年、ついにスタート!」とか付けることがありますが、そういうものに限ってダメになりやすい。

ウァービーパーカー Warby Parker

清川: そうですね、日本だと「こういう素晴らしいアイデアがある」とコメントするだけで、誰かにやらせようとするコンサルタントがいます。何で自分でやらないのか? 思いついたアイデアはすぐに陳腐化していくものですし、本当にいいものだったら絶対に自分でやったほうが早い。まずやってみて、後は走りながら考えればいいんです。

 実は、Oh My Glassesのアイデアの種も授業で発表したものでした。当時の日本にはメガネの通販サイトらしいものはなかったと思います。でも米国には「ウァービーパーカー(Warby Parker)」という専門ECサイトが存在していて、メガネのECにもチャンスがあると思いましたね。

起業への夢を忘れてしまったエリートビジネスマン時代

岡田: 留学前の社会人時代はコンサルタントとして企業再生を手掛けていましたよね。具体的に「起業しよう」と思ったのはいつですか?

清川: Oh My Glassesを立ち上げようと思ったのはスタンフォード時代ですが、もともと高校、大学時代から「起業したい」と思っていました。当時は、まさにインターネットブームでして、楽天の三木谷浩史さん、DeNAの南波智子さん、ライブドアの堀江貴文さんといった起業家の勢いに衝撃を受けていました。特に、堀江さんの大阪近鉄バファローズの買収から東北新球団創設構想までの一連の勢いには強く刺激を受けました。世の中にインパクトを与えるには、起業は1つの手段だと。

 ですが、この想いは社会人になったときに忘れてしまっていたんですよ。いわゆる「エリートビジネスマン」路線に乗ってしまったというか、大きな案件を手掛けていましたし、リーマンショック前で給料も待遇も良かった。それで「起業」のことをすっかり忘れてしまっていたんです。

岡田: 何がきっかけとなって「起業家」への道に戻ったんですか?

清川: 企業再生に携わっていたころは、小泉内閣が旗を振って「日本のものづくりを復活させるのだ、それが日本の復活につながるのだ」というムードが強かった。メガネではありませんでしたが、日本の古き良きものを復活させていくということにはやりがいを感じていました。

 でも、限界も感じてしまった。ある程度、成熟したビジネスを復活させるだけでいいのだろうか、ひょっとしたらそのビジネスが落ち込んだ理由は「もはやいらないもの」になったからではないのだろうかと思うようになってくると、日本を本質的に良くしていくためには再生も大切だけど、どんどん新しいものを生み出していくイノベーションが重要なんじゃないかと。

 それがスタンフォードに留学するきっかけになりました。自分の性格も「100のものを120にすること」より「0から1を生み出すこと」に喜びを感じるのだと、改めて気づいたわけです。

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