「一流」になるためには、3つの力が必要勝者のための鉄則55(2/3 ページ)

» 2013年10月28日 08時00分 公開
[張本勲,Business Media 誠]

「超一流」は、人より抜きんでた技術とスタイルを持っている

 プロ野球の世界では、トップクラスの活躍を見せ、記録を残すような選手がいる。「一流」の上、いわゆる「超一流」と呼ばれる人たちだ。残念ながら、誰もが「超一流」の選手になれるわけではない。それには素質が必要だ。持って生まれた器というか、歌の上手い人、下手な人と一緒で、下手な人がどんなに喉がかれるまで練習しても歌の上手い人にはかなわない。それと同じ。持って生まれた素質、これだけはどうしようもない。

 プロ野球の世界での「超一流」を私なりに考えてみると、バッターの歴代トップ10は、左打者ではまず“世界のホームラン王”王貞治さん。不滅の金字塔、通算868本塁打は文句なしだ。次に青バットの大下弘さん、赤バットの川上哲治さん、私、そしてイチロー。右バッターでは古い順から初代ミスタータイガース、「ダイナマイト打線」を担った物干し竿の藤村富美男さん、同じく「ダイナマイト打線」を藤村さんと組み、2リーグ分裂後は毎日オリオンズで活躍した別当薫さん。西鉄ライオンズで5度の本塁打王に輝いた中西太さん、そして“ミスター”こと長嶋茂雄さん。最後は史上最多3度の三冠王に輝いた落合博満さん。バッターのトップクラスといえば、この10人の名前が挙がる。

 この10人に共通しているのは、他人が真似しようとしても真似できない独特の技術、スタイルを持っていること。王さんの一本足打法しかり、イチローの振り子打法しかり、私の広角打法など独特のスタイルと特徴がある。人より抜きん出ているから記憶に残るし、素晴らしい記録も残している。古い人の名を多く挙げるのは、私自身、戦後のプロ野球復興期の記憶があるからだ。当時のボールは本当に飛ばなかった。1946年(昭和21)、大下さんは、ホームランがリーグ全体で211本だった時代に1人で20本塁打したし、その4年後、別当さんも43本を打った。

(写真と本文は関係ありません)

 その中で誰が一番かといったら、やっぱり王さんだろう。私が“4大監督”の1人と仰ぐ三原脩さんと話をしたことがあるが、彼は大下さんを推していた。西鉄ライオンズ時代に監督と選手という立場で、日本一になった経験があるからだろう。私も大下さんの最晩年に相手チームとして直に接したことがあるが、どちらかを選ぶとしたら王さんを選ぶ。長嶋さんも凄いけれど、長打の点で王さんが勝る。

 ピッチャーでは、400勝投手の金田正一さん、先発でも抑えでも活躍した江夏豊さん。右投手ならシーズン42勝の日本記録を持っている稲尾和久さん、日本タイ記録の9者連続奪三振の土橋正幸さん、そしてザトペック投法の村山実さん。これは球の速さで選んだトップクラスだが、全盛期の金田さん、江夏さんは単に速いだけでなく、ズドーンって感じでストレートが伸びてきた。このストレートは分かっていてもなかなか打てるもんじゃない。金田さんの凄いときは指にボールが引っかかって、グワーッと球がうねる。私たちはこれをスネークボールと呼んでいた。素直な真っすぐではなかったのだ。一方、江夏さんのはバッターの膝元に重くズドーンと来る。キャッチャーが捕ったときのミットの音が違った。軽い球だとパーンと乾いた音がするが、江夏さんの場合はズシリと重い音がした。球が重いとなかなか長打にするのは難しい。最近では前田健太や、開幕からの連勝記録、通年での連勝記録をともに樹立した田中将大が一流と呼ばれるが、金田さん、江夏さんの全盛時に比べたらまだまだ、びっくりするような球を持ってはいないと思う。

 びっくりしたといえば、杉浦忠さんのカーブ。私が入団した1959年(昭和34)に38勝4敗、勝率9割5厘、防御率1.40を記録したが、もう曲がり過ぎるってくらい大きく曲がるカーブだった。

 こうしたトップクラスの選手たちは、持って生まれた素質を生かして各自に見合った技術を身に付け、独特のスタイルを築き、それを応用したから「超一流」になれたのだ。

 では、「超一流」といえるほどの素質を持っていない者はどうしたらいいのか。

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