金正恩体制下の計画経済はうまく発展できるのか?――北朝鮮の農村を歩く藤田正美の時事日想(2/2 ページ)

» 2013年10月16日 07時00分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]
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アジア最後の計画経済の国となった北朝鮮の行く末

沙里院 沙里院市近郊

 たまたま1の付く日(農村市場が開く日)に農村を通りかかると、多くの人が自転車や徒歩で市場に向かい、買い出ししていた。なかには豚を丸々1頭自転車の荷台にくくりつけて運んでいる人もいる(その豚が生きているのかどうかまでは確認できなかったが、血で汚れていたわけではないから、きっと生きていたのだろう)。道ばたには収穫したばかりのトウモロコシも並べられ、どこかに運ばれるのを待っている(全部が市場に行くわけではないと説明を受けた)。

 この農村(沙里院(サリウォン)市の近く)が豊かであることは、きれいに整備された水田、よくメンテナンスされた家を見れば分かる。日本の農村風景と大きく異なるのは農家の家が集合して建っていることだろう。そもそも自分の農地があるわけではないから、作業はリーダーが「今日はこの田んぼ」というように決めて集団で作業するのだそうだ。そこで労働した分がいわばポイントになって先行きの分配量を決定する。

 豊かな村の場合は、自分たちが消費する量よりも多ければ、それを売ることができるし、「自分の畑」で作った作物はもちろん売れる。中国では人民公社から農家請負制になって、それがいわゆる「万元戸」という富裕農民を生んだ。現在の北朝鮮はまだ人民公社と基本的に同じだと思う。このままさらに農業の生産性を引き上げ、収穫を増やすことができるのかどうか、それは北朝鮮にとって大きな試金石といっていい。

 同じように工業でも目標を立ててそれを超えた分は自分たちで分配できるという制度も取り入れているのだという。企業そのものは国有である。経営者にやる気をもたせて生産性を上げるのが目的だ。ただそれでも中国の国有企業では無駄が横行した。生産目標を達成することにばかり目が行って、肝心の生産物が売れるかどうかを忘れるからである。この無駄は中国の国有企業だけでなく、国営銀行をも蝕んでいるはずだ。

 無駄をチェックしてバランスを取るには、市場に任せるか、それとも国家が計画するか、大まかには2つのやり方がある。世界的に、市場に任せるという選択をするようになったのは20世紀後半よりも後のことだ。そしてソ連が崩壊することで、市場経済の勝利が高らかに宣言された。

 しかし、その市場による資源の適正配分という原理は2008年のリーマンショックで大きなダメージを被った。「市場の行き過ぎ」が問題になったのである。純粋に計画経済の国として残っているのは、少なくともアジアでは北朝鮮だけだ。ベトナムは良くも悪くもすでに変質している。北朝鮮の経済発展がうまく行くのか、それとも東アジアで取り残された国になってしまうのか、これからの数年でその答が出る。

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