例えば、煙草を他のモノに置き換えたらどうなるか。7月末に私が上梓した最新作ミステリーでは、アルコール飲料が事件の謎を解く重要なキーとなっている。煙草とともに酒は嗜好品の代表格だ(煙草同様、禁酒するつもりは一切ない)。啓蒙の名の下に、一々要望書を出されたのでは、商売に差し支える。
さらに言えば、キャラクター造形やストーリー展開のために、作家をはじめ映画監督や俳優は知恵を絞っている。煙草を吸う仕草、酒の飲み方など、読者や観客にさまざまな事柄を伝えるために、考え抜いているのだ。
来年、私は時代モノの小説を企画している。当然、本編中にはたくさんの帯刀した侍を登場させる予定だ。また、多数の銃器が登場する作品も構想中だ。禁煙学会のような各種啓蒙団体に気を遣い、刀が登場しない時代モノや、銃器のない戦闘シーンを作る必要があるのだろうか(まあ、ありえないと思うが)。
禁煙や禁酒などを啓蒙するのは自由だ。だが、作家をはじめとするクリエイターの領分にまで“正論”を振りかざすのは、大人気ないと思うのは私だけだろうか。
少し見方を変えてみよう。ここからは、私自身のかなり“うがった見方”が入っていることをご承知おきいただきたい。
今回、禁煙学会が『風立ちぬ』に対して要望書を出したのは、製作者が宮崎監督というビッグネームだったからではないのか、という点だ。
国民的とも言える人気を誇るジブリに対して、真っ正面から要望書を出せば、ネット社会での炎上は必至。もちろん、新聞やテレビなど従来型メディアも興味を示して取り上げる。禁煙学会の存在を強烈にアピールできる機会だったのではないか、という点だ。
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