日本人の旅スタイルは「安・近・短から弾・参・縁」に――その意味とは博報堂・吉川昌孝のデータで読み解く日本人(2/3 ページ)

» 2013年08月15日 08時00分 公開
[吉川昌孝,Business Media 誠]

旅先でもネットと「常時接続」するソーシャルなトラベラー

 スマートフォンの普及、ソーシャルメディアの利用など、常にSNS的日常を付帯する生活者は、旅先でもなかなかその環境から脱することが難しいでしょう。「○○に来ました!」「○○なう」など、旅先でも自分の今を情報発信。と同時に、知り合いの旅先での状況も同様に把握できてしまいます。ハレの空間(旅先)にいるのに、常にケ(日常生活のしがらみ)が手の中にあるという、アンビバレンツな状態。ケータイやスマホがなくてはならないという人もうなぎ上りに増えてます。この日常との乖離(かいり)しずらさ、もっと言ってしまえば、SNS的日常から長期間離れられなくなっていることも、旅を弾丸化する背景の1つだと言えるでしょう。

なんでも祭化して、参加するから、旅はアガる

 旅程が短くなったからこそ、貪欲に楽しみたい。旅の間はとにかくめちゃくちゃ充実していたい。そこで求められてくるのが参加性です。「○○に初参戦!」「昨年に引き続きの参戦です!」など、「参戦」という言葉で自らの参加度を鼓舞するような表現が目につきます。こうした旅先でのイベント(そもそも旅自体が1つの祭イベント化していると思うのですが)の当事者になることで、充実度を上げようとする生活者の気持ちが見えてきます。

 かつて、旅は物見遊山が基本でした。「この景色すごいね」「この建物はびっくりだね」など、見物すること。自分はあくまで部外者(旅行者)で、それを今、見てまわってます、というのが旅の基本スタンスだったと思うのです。が、今やネットで何でも見られるし、YouTubeを使えば、すぐに行ったような気分になれる。となると、ただ単に見物人として見てきた、行ってきた、ではなく、当事者としてその場に参加してみた、首を突っ込んでみた、ということが価値になる。実際、旅先からソーシャルメディアにつぶやくときでも、単に見て見て、聞いて聞いて、では、スルーされがち。しかし、やってみた、参加してみた、とそこでの当事者性を上げることで、ぐっと臨場感が増し、他者からの反応も得られるようになるのです。

 富士山は美しいし、世界遺産だからみんな行くわけですが、加えて、そこに登るという参加性の高い行為が備わってる、さらにそれを大勢で行うという祭り性があるからこそ、これだけ盛り上がっているんだと思います。物見遊山を基本にした観光は、参加性をどのように高めるかがこれまで以上に大切になるでしょう。阿波踊りで昔から歌われてる「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊りゃにゃ損損」という気分にいかになってもらうか、ということです。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.