なぜ、エジプトの大統領はクーデターで解任されたのか?新連載・イスラム世界を知る(1/3 ページ)

» 2013年07月12日 12時00分 公開
[宮田律,Business Media 誠]

イスラム世界を知る

 「イスラム」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか? 遠い中東の話だからよく分からない、あるいはイスラム過激派のテロ活動などの印象から「イスラム=怖い」というイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。

 中東や西アジア、北アフリカなどに広がるイスラム世界。世界には全人口の約4分の1、16億人以上ものムスリム(イスラムを信じる人)が暮らしています。イスラムはもともと、サラーム(アラビア語で「平安」)という言葉から派生したことからも分かるとおり、非常に平和的な宗教です。しかし、日本人がニュースで接するイスラムの世界の話題は、ほとんどが欧米(特に米国)経由で入ってくるもの。つまり、欧米メディアの視点でのイスラム世界の姿なのです。

 「イスラム世界を知る」は、欧米メディアの視点を通さずに、イスラム世界のことを知るための記事です。イスラム地域の政治や国際関係を専門とする宮田律(おさむ)氏が、イスラム世界で起きたニュースを、分かりやすく解説していきます。


 7月3日、エジプトでクーデターが起き、大統領が解任されたというニュースが世界中を駆け巡った。この政情不安を受け、ニューヨーク原油先物相場は9日の時間外取引で、1年2カ月ぶりに高値近辺で推移している。エジプトが管理するスエズ運河の輸送に関する懸念もある。エジプトの出来事は、日本にとっても決して無縁ではない。なぜクーデターは起こったのか。エジプトの政治はすぐに安定するのだろうか?

カイロ大学の女子学生たち

イスラム主義組織、ムスリム同胞団に支えられていたモルシ大統領

エジプト・モルシ大統領。2012年6月18日、大統領選挙後の会見(Mohamed Morsi, (c)Jonathan Rashad)

 エジプトで7月3日、軍隊の「クーデター」によってモルシ大統領が解任された。モルシ大統領の解任を発表したスィースィー(シシ)国防相は、昨年12月に成立した憲法を停止することを宣言した。

 モルシ大統領は、エジプトの上下両院を、自らの支持基盤であるイスラム主義組織「ムスリム同胞団」のメンバーたちで固めようとしていた。こうしたモルシ大統領の縁故主義(ネポティズム)に対する不満も、エジプト国内では募っていた。エジプト政治はこれまでも、モルシ大統領派と、中道や自由主義勢力、左派などの反モルシ勢力の間で揺れており、政治的妥協が成立することがなかった。

 例えば、解任される直前まで、モルシ大統領は2012年12月に成立した憲法を賛美していた。この憲法は60%の賛成票を得たものの、投票率はわずかに30%。主にムスリム同胞団員たちの支持によって成立したようなものであった。7月2日の演説では、モルシ大統領は彼が大統領職にとどまることに「正当性」があると72回も発言した。モルシ大統領には反政府運動が高揚しても、野党勢力から閣僚を抜擢する姿勢がまるでなく、そのこともまたムスリム同胞団と対立が続いていた軍部を政変に動かすことになった。

ムスリム同胞団と対立するエジプト軍と、反モルシ大統領の団体「タマッルド」

 反モルシの運動の中核を担った「タマッルド(反乱)」は、今年4月に創設された団体である。モルシの「独裁的な政策」が2011年のエジプト革命の成果を奪うものだと考え、モルシ大統領辞任を要求する1500万人の署名を集めるなどの活動を行った。多数の署名と、カイロのタハリール広場などで開かれた大規模な集会が、軍隊を動かしたともいえる。

カイロ・タハリール広場

 エジプトの軍部はムスリム同胞団の指導者300人に逮捕状を出し、モルシを軟禁状態に置いた。しかし、エジプト政治からムスリム同胞団などイスラム主義組織をあまりに排除することは、その急進化をもたらしかねない。他の国のを見ると、例えばアルジェリアでは、1991年の総選挙後にイスラム主義者を排除し、それが15万人もの死者を出す内戦となった。またイラク戦争後のイラクでも、サダム・フセイン政権時代の与党バアス党員を新政府から遠ざけたことが、多くの暴力を伴う混迷を招き、いまでもテロが国内を席巻している。

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