「大学生にギャップイヤーを」と言いつつ、学生の自由を奪う人たちサカタカツミ「就活・転職のフシギ発見!」(2/3 ページ)

» 2013年07月01日 04時30分 公開
[サカタカツミ,Business Media 誠]

「大学生活=ギャップイヤーのようなもの」?

 一口に大学生や大学生活といっても「全員が同じ」ではありません。ばかばかしいほど当たり前ですが、この認識が実はとても重要なのです。

 ギャップイヤーやモラトリアム期間が必要だという人の多くは、大学生活にゆとりがなくなってきているから、それが失われてしまっているのだと主張します。例えば「イマドキの大学は就職予備校化している。就活の期間も長期化しているので、海外に留学することも難しいのが現状だ」と。果たしてそうなのでしょうか。当事者に聞くと、その反応はそれぞれまちまちです。

 まず多いのが「単位の取得がいささか面倒な学校に通っている」学生の反応です。代返で乗り切った、テストさえ受ければとりあえず単位、などという牧歌的な大学生活は今や昔。きちんと出欠管理され、それこそ高校生活と変わらない大学生活を営んでいるというタイプは「モラトリアムの時間もなく、ギャップイヤーがあったほうがいい」人たちのようです。

 このタイプの学生に多いのは、就活をするというタイミングになって「あなたが学生生活で頑張ってきたことを教えてください」と採用担当者に質問され、答えに窮してしまうこと。一生懸命勉強したといいたいところですが、自主的にテーマを選んだわけでなく、単に真面目に学校に通っただけ、という事実に気がついたとき、あるいは面接などで指摘されたとき、愕然としてしまうようです(参照記事)

 もうひとつは「いやいや、大学生活自体がギャップイヤーです」という反応を示す人たち。伝統ある、という言い方は語弊があるかもしれませんが、そういうタイプの学校に通っている学生たちの中には、抜け目なく学生生活を営んでいる人もいて、そういう学生はモラトリアムやギャップイヤーなどという言葉を意識することなく、海外に出かけ、自分な好きなことを学んで、インターンシップやボランティア活動に参加しています。単位も自分で考えてサクサクと取ってしまう。

 多くの社会人、特に年配の人たちほど、このタイプの学生が「学生の典型」であると考えがち。なので、ギャップイヤーだのモラトリアムだのと言われても「大学生は遊んで当然だろう?」という反応になってしまうのですが、実際は「それ以外の大学生」も多くなっているのです。

仕組みが自由度を奪っている現実

 最近の就職予備校と化している大学では、「キャリア教育」が熱心に行われています。キャリアアドバイザーと称する人たちが講義をしたり、ビジネスの現場で役立つとされている資格取得を可能にする講座が開かれたりと、サポートプログラムがたくさん用意されています。自分で考えて行動するということをしなくても、イベントやプログラムがたくさんあるのです。むしろ、それをこなすことで精一杯になってしまって、それ以外のこと、もしくは「自分で考えて行動する余裕」がなくなってしまう学生も少なくない。人によっては「そうでもしなきゃ、彼らは勉強もしないし、就活にも取り組まないさ」と憤慨するかもしれません。ただ、差し伸べる手が多すぎることが、サポートされる学生の自由度を奪っている事実は見逃せません。

 実際、いざ就活となったタイミングで「就職予備校と化した学校で、真面目に通っていた」学生が連戦連勝とするとは限らない。それどころか「そういう学生は要らない」という企業もあることに、当事者である学生たちが愕然とするケースは多いのです。

 就活のことを考えると海外留学に躊躇(ちゅうちょ)してしまう、という話もよく聞きますが、これにしてもギャップイヤーという制度やモラトリアムという考えを仕組みとして整備してもあまり意味がないことなのは、現場にいる人たちは理解しているはずです。学生が就活のことを考えると留学に躊躇してしまう理由は「来年、同じ企業が求人しているとは限らない。来年求人倍率が維持されている保障はない」からなのです。

(写真と本文は関係ありません)

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