先日、将棋の里見香奈女流五冠がテレビのドキュメンタリー番組に出演していました。その中で、取材ディレクターに「夢は何ですか?」と質問を受けていました。彼女は「夢はないですね」と即答。その上で、夢はかなわないかもしれない、でも、目標ならある。そして、目標に向かって努力していると話していました。おそらく、取材ディレクターは夢という言葉と目標という言葉を同義に使ったのでしょう。しかし、里見女流五冠は夢という言葉の曖昧さに気づき、それを排除した上で、分かりやすい「目標」という言葉に置き換えた。私も子供たちを前に話すときには、「夢ではなく『目標を持つ』と良い、さらには、それに向かって努力することが大切だ」と話すようにしています。
ただ、夢という言葉の呪縛はなかなか解けません。例えば、就活するというタイミングになって、いろいろな企業のリクルーティングサイトを見てみると一目瞭然です。その中では、我が社は夢に向かって突き進んでいますと大々的に書かれていたり、夢を持っている人たちを応援したいと呼びかけられていたり、大切なのは実績よりも夢を持っていることですと、就活生たちは言われているのです。
さらに始末の悪いことに、採用担当者の多くは面接で「あなたの夢は何ですか?」と質問します。以前、採用担当者たちに「夢が素晴らしかったら採用するの?」と聞いたことがあります。彼らの答えは一様に「夢が素晴らしいから採用、ということはないです」とのこと。特に深く考えることなく「持っている夢」について問うているのです。
夢という言葉の持つ曖昧さから来る恐怖は、社会に出てしまえば当たり前に気づくこと。しかし、現実を見始めた中学生(イマドキは小学生でもそうかもしれません)にとっては、使い方を誤ると後々まで混乱させる原因になることを、より多くの人が自覚してくれることを願ってやみません。さて、私が中学生たちに話をする際に、夢という言葉からくる誤解と同時に、もう一つ大切な話をします。それは「何になりたいのか?」という質問を受けて戸惑う皆さんの気持ちは正しい、という話なのですが、それはまた来週にでも。
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