ホンダはなぜ、F1復帰を決めたのか――社長会見を(ほぼ)全文収録(1/5 ページ)

» 2013年05月16日 19時33分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]
ホンダ伊東孝紳社長(右)と、マクラーレングループCEO、マーティン・ウィットマーシュ氏(左)

 本田技研工業(ホンダ)は5月16日、F1に復帰することを正式に発表した。英国の名門チーム、マクラーレンにエンジンおよびエネルギー回生システムを開発、製造、供給。2015年から「マクラーレン・ホンダ(McLaren Honda)」として活動していく。

 マクラーレン・ホンダといえば、1980年代〜1990年代にかけて、アイルトン・セナやアラン・プロストを擁して圧倒的な強さを誇った。ホンダは1964年にF1に初参戦して以来、F1参戦、撤退を繰り返している。2008年、リーマンショック後に撤退して以来(参考記事)、今回は4回目の参戦となる。

 今回再び参戦を決めた理由についてホンダは、F1のルールが変わったことを挙げている。2014年から1.6リッターV型6気筒直噴過給エンジンが採用され、エンジンのダウンサイジング化と内燃機関のさらなる効率化が進んでいること。また、エネルギー回生システムが採用されるなど、電気自動車やハイブリッドカーに必要な環境技術がF1にも用いられるようになり、F1に参戦することが、将来技術の開発や技術者の育成に大きな意義があると判断したため、と説明している。

1992年カナダGPでのマクラーレン・ホンダ。カーナンバー1がアイルトン・セナ

ホンダのF1活動

備考
第1期 1964〜1968年 エンジン・車体を含めたオールホンダとして参戦
第2期 1983〜1992年 エンジンサプライヤーとして参戦、1988〜91年はマクラーレン・ホンダとして4年連続ドライバーとコンストラクターのダブルタイトルを獲得
第3期 2000〜2005年 エンジン供給と車体の共同開発による活動(2000〜2005年)、エンジン・車体を含めたオールホンダとして参戦(2006〜2008年)
第4期 2015年〜 エンジンサプライヤーとして参戦

 5月16日、16時から東京・青山の本社で行われた緊急記者会見の模様を、以下詳しくお伝えする。ホンダの伊東孝紳社長(参考記事)のほか、マクラーレンのCEO、マーティン・ウィットマーシュ氏も登壇した。

ホンダ 伊東孝紳社長のスピーチ

伊東 このたび私たちはフォーミュラ・ワン世界選手権(以下、F1)に、マクラーレンとのジョイントプロジェクトのもと、パワーユニットサプライヤーとして参戦いたします。ホンダはエンジンおよびエネルギー回生システムを開発、製造、供給する一方、マクラーレンは車体の開発、製造、チーム運営を担当し、「マクラーレン・ホンダ」として活動してまいります。

ホンダ伊東孝紳社長

 ホンダは、四輪車の販売を始めた翌年の、1964年にF1に初参戦し、この世界最高峰の四輪レースという厳しい競争の場で、自らの技術を磨き、人材を育てて参りました。しかし、前回の参戦において、満足のいかない結果を得られないまま、やむをえず撤退に踏み切ったことは(参考記事)、私自身非常に悔しい想いがあり、同時にファンのみなさまのご期待に添えなかったことを、とても残念に思っています。

 当時、F1に携わっていた約400人の技術者たちは、その後、環境技術を中心とした量産車の開発に加わり、特にハイブリッド車や電気自動車など、電動化技術に加わり、、短期間でホンダの技術を向上させることに大いに貢献してくれました。一方で、F1においても、ダウンサイジング過給エンジンや、エネルギー回生システムなど、市販車の環境技術に呼応する新しいレギュレーションが生まれ、これまで以上に、レース車から市販車への新しいフィードバック、そして市販車からレース車へのフィードバックも期待できるようになります。

 このように、新しいF1の目指す方向性とホンダが目指す開発の方向が合致していく中で、将来、ホンダの若い技術者の中にも、F1に挑戦したいという声が出てくるようになりました。自動車メーカーが熾烈な競争を繰り広げる中、ホンダが勝ち残っていくためには、これまでよりも卓越した技術進化を続けて行かなくてはなりません。そのためには、若い技術者が、自らの技術を試し、世界で磨く場が必要です。これからのF1は、それを実現するのに最適な場であると考えました。

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