北総鉄道と同じ轍を踏む? 日本一安い運賃「北大阪急行電鉄」が値上げする日杉山淳一の時事日想(2/6 ページ)

» 2013年04月12日 08時01分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

なぜ初乗り80円を実現できたか

 北大阪急行電鉄は1970年に開業した。当時の枠組みのとおりで、自社負担による建設であり、現在のローカル鉄道の負担を下げる公設民営方式ではない。では、なぜ北大阪急行電鉄の運賃がこれほど安いか。その理由は、建設債務の早期解消と、欲張らずに路線を切り捨てたからだ。もっともこの会社の事例はちょっと特殊で、他の鉄道路線では真似できない。いまはもうこの方式は無理だろう。

 北大阪急行電鉄の特殊事情とは、日本万国博覧会、いわゆる大阪万博である。この路線は千里丘陵で開催された大阪万博のアクセス路線として、阪急電鉄が中心となって会社を設立し建設された。当時は御堂筋線の延長線として整備する案もあったが、沿線が大阪市の範囲を超えて吹田市、豊中市になるため、大阪市が積極的ではなかったと言われている。

 地下鉄御堂筋線ではなく、別会社として延長したため、御堂筋線から直通する乗客からは初乗り運賃をいただける。そしてなんと、たった半年間の万博運賃収入で、建設費用をすべて返してしまったのだ。開業初年度で無借金となっていた。地下鉄御堂筋線の延長だと運賃はわずかな割り増しだから、この区間の建設費用負担は御堂筋線全体の収支を悪化させたかもしれない。

 ただし、目的地が万博会場では、万博終了後に利用者は激減してしまう。そこで同社は万国博中央駅までの末端区間3.6キロメートルをあっさりと廃止し、別方向に500メートル延伸して、廃止区間にあった千里中央駅を移転させた。万博アクセス路線からニュータウンアクセス路線に転じたわけだ。もちろんこれも当初から計画されていた。

 ちなみに、2005年の愛知万博ではアクセス路線としてリニモこと愛知高速交通東部丘陵線が建設された。しかしこちらは万博後のニュータウン開発が進まず、現在も赤字体質で、愛知県や地元自治体の負担となっている。かつての北大阪急行電鉄の成功は、当時の大阪万博の動員がものすごかったと言える。いや、建設コストと運賃収入のバランスが現在とは違ったかもしれない。

千里ニュータウンへ向かう線路

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