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» 2013年03月28日 08時00分 UPDATE

伊吹太歩の世界の歩き方:礼讃される米メディアって本当にすごいのか? (1/3)

批判ばかりされる日本メディアと対象的に、礼讃が多い米メディア。だが、現実を見れば賞賛するほどのことはない。

[伊吹太歩,Business Media 誠]

 インターネットの普及とともに、日本のメディアへの批判的な声がこれまで以上に大きくなっている。特にそれが顕著になったのは、東日本大震災で発生した福島原発の事故をめぐる報道だろう。メディアが伝える内容を批評的に見る傾向が強まり、ネット上はあちこちで火が上がった。震災から2年が過ぎたばかりの今もそんな流れが続いている。

 メディアの在り方についての議論もまた、盛り上がった。大手マスコミが政府や東京電力の「大本営発表」をそのまま記事にする報道姿勢は、善し悪しは別にして、記者クラブのような報道システムがある限り諦めるしかない。しかし1つ気になったのは、ジャーナリストを称する人たちが自らの信条を訴えるために、メディア報道などを歪曲してリポートしていたことだ。

 そうしたジャーナリストらのリポートで目にするのが、欧米のメディアまたは記者は優れているという論調だ。日本メディア批判には、特に米国との比較で米メディアは素晴らしいという向きが少なくない。

米国にだって「記者クラブ」は存在する

 もちろん米メディアを礼讃する傾向は昔からある。米国では表現の自由が保障され、米ジャーナリズム界の基礎である「クリティカルシンキング(批判的思考)」で、記者たちは世界を動かす超大国「アメリカ」の権力を監視し、果敢に真実を追求する――。

 そんなポジティブなイメージのみが拾われて、日本メディアには模範的に見られてきた。だが米メディアは本当にすごいのか。日本では必要以上に神格化され過ぎている気がしてならない。

 よく言及されるのは、「米国には記者クラブのようなものは存在しない」というものだ。だが、実際には米国にだって記者クラブのようなものはある。例えば大統領を担当するホワイトハウス担当記者たちが集まったホワイトハウス記者団。大統領や政府高官の記者会見に出席するのだから、誰でも入れるわけではない。経歴が怪しく、実績のほとんどない記者が取材を許されるべきではない。それは日本の記者クラブのような排他性ともとれる。

 米国務省も然り。報道官が定期的に会見を行っているが、記者はいつもほぼ同じ顔ぶれだ。限られた人たちが会見に出席し、そこに入れない記者は外で中継を見る。つまり質問が許されない。システムとしては記者クラブと同じではないのか。

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