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» 2013年03月11日 08時00分 UPDATE

リアリズムと防衛を学ぶ:“人道的な戦争”とは何なのか? (1/3)

対人地雷などの兵器や、捕虜の虐待は「非人道的だ」と批判され、国際条約で禁止されています。一方、代表的な大量破壊兵器である核兵器は禁止されていません。今回は“人道的な戦争”とは何なのかという問題を考えます。

[暁,リアリズムと防衛を学ぶ]

「リアリズムと防衛を学ぶ」について

 竹島や尖閣諸島の領有権問題で揺れる日本。しかし、国と国との争いは、いつの時代でもどんな場所でも発生しているもの。日本は過去の事例から、どのように考えるべきか、どう対処すべきかを学ぶことができるのではないでしょうか。

 本連載では、暁氏(@zyesuta)が防衛に「ちょっと興味はあるけど、よく知らない」という人向けに書いているブログ「リアリズムと防衛を学ぶ」の中から、日本人のヒントになるような事例を紹介していきます。

 この記事は、2009年12月25日に掲載されたブログエントリを再構成したものです。


 対人地雷などの兵器や、捕虜の虐待は「非人道的だ」と批判され、国際条約で禁止されています。ですが、これは奇妙な話ではないでしょうか。それら以外の兵器を使った戦争は、非人道的ではないのでしょうか。そもそも戦争自体が非人道的なのに、その中の一部の兵器や行為だけ「非人道的だ」といわれるのはなぜでしょう。これが今回のテーマです。

戦争における”人道”の意味

 対人地雷や毒ガスが「非人道的だ」と言う時の“人道”というのは、普遍的な人道の話をしているのではありません。「この兵器は“国際人道法”に違反している!」という意味なのです。普遍的な人道ではなく、国際人道法の規定の話をしているのです。

 国際人道法とは、いくつかの法律の総称です。定めているのは「戦争の方法」です。例えば「投降の意志を示した敵は攻撃してはいけない」「民間人を攻撃目標としてはいけない」といったことです。

 いうなれば「戦争のルール」なのです。「非人道的だ」として批判されている兵器や行為は、いうなれば「戦争のルールに違反している!」として問題視されたのです。

 戦争のルールなのに国際“人道”法とはどういうことなのでしょう。

 国際人道法は『戦時にも許されないものがある』という非常にシンプルで、しかし説得力のある考えから生まれた。…敵対行為に参加しないか、参加することをやめた人々の保護と戦争の手段・方法の制限を目指した多くのルールを規定したものである(小池政行著『国際人道法―戦争にもルールがある』85ページ)

 このように戦争の手段を制限することで、戦争で必要以上の犠牲者が出ることを防ぐのが国際人道法の考え方です。具体的にどういった兵器や行為を規制しているのでしょうか。

なぜ対人地雷や捕虜虐待は非人道的なのか?

 国際人道法の規定は数多いので、この記事ではさわりだけを触れることにします。その中で基本となっている考え方は「戦争で攻撃していいのは、敵対意志のある敵兵だけに限る(区別原則)」「軍事的に不必要な被害や苦痛を与えてはいけない」といったものです。

 要するに「戦争だからといって、無意味に人を殺傷してはいけない」ということです。対人地雷や毒ガスといった一部の兵器が非人道的とみなされたのは、この考え方をそもそも守ることができない、と考えられたからです。

 例えば対人地雷や毒ガスは“区別の原則を守れない”または“不必要な苦痛を与える”とされ、批判されました。

 対人地雷は途上国のゲリラなどが何も考えずに埋めまくったため、多くの民間人を死傷させています。まともな軍隊ならば埋設した場所と数をちゃんと記録しておいて、後で自分で除去します。しかし正規軍でないゲリラやテロ組織が無分別に使うことで、無差別な被害が生じたのです。だから敵兵と民間人を区別せずに殺傷する、非人道的兵器とみなされました。

 毒ガスは第一次世界大戦で恐るべき威力を発揮し、その後の条約で禁じられました。毒ガスは兵士の生命を奪うだけでなく、後遺症を伴うことなどから、不必要に苦痛を与えるとみなせます。また一度散布してしまえば後は風任せで、交戦中の敵も、投降の意志を示した敵も区別できません。

 行為についても、戦争を遂行する上で不要な殺傷は禁じられています。分かりやすいのは民間人や捕虜を殺傷することです。交戦中の敵兵であれば、殺傷しなければ戦争に勝てないし、こちらが死傷してしまいます。ですが害意がなく、武器も持たない民間人や捕虜を殺傷性することには、何ら必然性はありません。だから禁じられています。

 逆に言えば、攻撃対象をきちんと区別できる兵器や、敵兵と区別した上での必要な攻撃ならば認められている、とも言えるでしょう。

なぜ他の兵器は「非人道的」と見なされないのか?

 それが「不必要な苦痛ではない」とみなされたところで、銃砲で撃たれれば人は死にます。攻撃対象を選択できるからといって、選択したら殺してしまってもいいのでしょうか。交戦意志を示している敵兵だけを撃ち殺せば、それは「人道的な戦争」とみなされるのでしょうか?

 また、「国際人道法は矛盾している」と言う人もいます。国際人道法は戦争にルールを定めていますが、ということは「戦争が起こることを前提として考えている」ということです。それのどこが人道なんだ、というのです。

 本当に人道的なのは、戦争にルールを作ることではなく、そもそも戦争をしないことではないのでしょうか。戦争にルールを定めるのではなく、そもそもすべての戦争はルール違反だ、としてしまった方が、より多くの人の命を助けられるのではないでしょうか?

 ところが、戦争を禁止する国際条約はすでにあります。まずは不戦条約、そして国連憲章です。国連憲章は国連に加盟しているすべての国が守ることになっています。そこでは「武力の行使」が禁止されています。自らを守る場合(自衛)を除けば、戦争であれ、ほかの名目であれ、すべての武力行使はすでに禁止されているのです(強制行動と安保理の授権の場合を除く)。

 ですがご存じの通り、国連憲章の制定から60年以上経っても、戦争はなくなっていません。将来においても、当分の間、戦争を完全になくすことは難しそうです。

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