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» 2013年03月05日 08時01分 UPDATE

AKB48の戦略!:秋元康に聞く、大島優子さんってどういう立ち位置ですか? (1/2)

AKB48の大島優子さんは、選抜総選挙で毎回トップを争う常連だ。現在はセンターを務める彼女だが、どういう存在なのか。総合プロデューサーの秋元康氏に聞いた。

[秋元康, 田原総一朗,Business Media 誠]

AKB48の戦略!:

book

 この連載は書籍『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術』(アスコム)から抜粋、再編集したものです。

 AKB48といえば、今や知らない人はいないほどのアイドルグループで、その人気は日本のみならず海外にも及ぶ。本書では、そんなAKB48の真実や魅力を余すところなく紹介するとともに、プロデューサーでもある秋元康の企画力や発想術などの“刺さる”ビジネスノウハウを徹底的に解明。AKB48のファンはもちろんのこと、ビジネスパーソンにこそ読んでほしい1冊です。


著者プロフィール:

秋元康(あきもと・やすし)

作詞家。1958年、東京都生まれ。美空ひばり「川の流れのように」をはじめ、ジェロ「海雪」(第41回日本作詞大賞受賞)、AKB48「フライングゲット」(第53回レコード大賞受賞)など、数々のヒット曲を生む。2012年、第54回日本レコード大賞“作詞賞”を受賞。

テレビ、映画、CM、漫画、ゲームなど、多岐にわたり活躍中。AKB48グループの総合プロデューサーを務めるなど、常に第一線で活躍するクリエイターとしても知られる。著書に小説『像の背中』(扶桑社)など多数。


田原総一朗(たはら・そういちろう)

 1934年、滋賀県生まれ。1960年、岩波映画製作所入社、1964年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに転身。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。

現在、早稲田大学特命教授として、「大隈塾」塾頭も務める。『日本の戦争』(小学館)、『田原総一朗自選集(全5巻)』ケビン・メア著『田原総一朗責任編集 自滅するな日本』(アスコム)ほか著書など多数。


本人が乗り越えようとするか逃げようとするかで、その後が違ってくる

田原:高橋みなみは、秋元さんのイメージがよい方向にはずれた例ですね。「なんだいこれは」と、反対方向にはずれた場合もあるでしょう?

秋元:もちろんです。2期のメンバーに、年齢や靴のサイズ、体重までもサバを読んだやつがいました。なぜ発覚したかというと、靴のサイズが合わなかったんです。用意したものが小さすぎたので「なんで足のサイズを小さく言ったんだ?」と聞くうちに、「いえ、靴だけじゃないんです。実は……」と。年齢も体重も全部ウソだった(笑)。

 まあ普通はアウトですが、これもおもしろいなあと不問に付しました。そんなすごく人間的なこと、アイドルに付きもののスキャンダルみたいなことがあっても、本人が乗り越えようとするか逃げようとするかでその後が全然違ってきます。スタッフによく言うのは「僕らが15や16のとき、完璧な優等生だったか。そんなに立派な生き方をしてたっけ」と。

田原:みんな、デタラメやってたよね。中学生から高校生になるころなんて。

秋元:僕らも失敗を繰り返し、親に先生に、大人たちに怒られてきた。それを、世間知らずだったり血迷ったりして、たった1回やったからといって彼女たちの夢を閉ざしてしまうのは、あまりにも酷だ。それは違うだろうと。だから、最初に解雇した子には「けじめとして解雇するけど、とにかく戻ってきなさい」と言った。これは、昔のボーイフレンドと撮ったプリクラ写真が出ちゃったんです。いまにして思えば、大したスキャンダルではないですけど。

 高橋みなみがよく言いますが、彼女たち初期メンバーは14歳でAKB48に入ったから、男の子とプリクラを撮ったことすらなかった。楽しいことを経験する前に入っちゃったから、何事もないんです。ところが、途中から入った子たちは中学や高校で男の子と付き合って、当然プリクラくらい撮るわけです。でも、それが出てきてしまったからには、ファンの夢を壊すからけじめをつけなければいけない。ただ、イエローカード・システムで「2回目はないよ。次はレッドカードだ」と言っています。

田原:最初からレッドカードは出さない。イエローカードだから戻れる。

秋元:そうです。人間だから間違うこともあるだろう。イエローカードが出て、それでも同じことをしたら、残念だけどほかの道を探しなさいと。

田原:菊地彩香さんですね。男の子とのツーショットのプリクラ画像がインターネットに流出して、解雇された。菊地さんは、戻ってこいよと言って、戻ってきたの?

秋元:戻ってきました。彼女はさすがでした。AKB48初のスキャンダルだから、15歳の子がスポーツ紙なんかに「解雇!」と実名入りで騒がれた。それだけ言われても耐えて、次の次のオーディションまでじっと我慢して、オーディションを受けにきました。

 僕は「よく頑張った。これで復帰できるけど、たぶん劇場は冷たいよ。それに耐えられるか」と話しました。そりゃそうで、ファンは、男の子と写った写真が出れば裏切り行為と見なすから、当然冷たい。ファンからは刺すような、射るような目で見られる。

 しかも彼女はエース候補だったんです。それが研究生から再スタートして、自分のほうが人気があった同期たちのバックダンサーを務めなければならない。それでも頑張って、新しいファンが彼女を認め、昔のファンも戻ってきた。こういうのがAKB48だと思うんです。

田原:彼女は、どのくらいで復活したんですか?

秋元:2年くらいかかりました。いまは菊地あやかという名前でチームAにいます。

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