廃止路線を復活させたことで、どんなことを学んだのか杉山淳一の時事日想(3/4 ページ)

» 2013年02月08日 08時02分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

最大の障壁は「踏切」

 しかし、地元の人々と自治体はあきらめなかった。「可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会」は、2005年に「JR可部線電化延伸等連絡会」を設立。6年間にわたって地道な電化促進、可部線利用促進を働きかけていく。この努力が実って、JR西日本、広島市、バス事業者による「JR可部線活性化協議会」が結成された。そしてついにJR西日本と広島市は可部線の河戸までの一部復活、電化延伸の基本方針を策定する。

 JR西日本と広島市を動かした要素は地元市民の「声」だけではなかった。地元市民によって、旧河戸駅付近の県営住宅跡地を宅地開発する構想が提案された。鉄道事業の採算性向上と、街づくりに関する提案があった。これ以降、JR西日本と広島市は電化延伸を本格的に検討していくことになった。2010年末には環境アセスメント調査に着手。2013年度の開業を目指していた。

 しかし、ここから先も協議は難航した。JR西日本と広島市は2011年9月までに可部線延伸で合意したかった。その障壁は「踏切」だった。廃止区間を復活といっても、いったん廃止した区間のため、法的には「廃線跡を利用した新線」という扱いになる。そうなると問題は「踏切」であった。

 国土交通省は原則として、新規開業区間の踏切設置を認めない方針だ(関連記事)。そこでJR西日本は同区間の踏切廃止を提案。しかし、地元側は踏切がないと交通が遮断されるとして踏切存続を希望する。手っ取り早い解決策は高架化だが、事業採算性の点では不可能に近い。結局、2012年7月にJR西日本が「広島市が新たに策定する踏切整備案に地元と国が同意するなら」と譲歩した。広島市の提案は、可部駅寄りの踏切を移設し、旧河戸駅側の踏切を復活させるというものだ。

電化延伸事業の詳細(出典:広島市)

 踏切復活の鉄道整備を国が認めるのか。タイミングの悪いことに、この2012年の4月、可部線では踏切事故で中学生が亡くなっている。また、今年1月にも秩父鉄道の踏切事故で小学生が亡くなり、同社の第4種踏切の事故多発がクローズアップされた(関連記事)。こうした中で、果たして国は可部線の踏切復活を認めるだろうか。

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