なぜ手塚治虫はヒット作を生み出し続けることができたのかアニメビジネスの今(4/5 ページ)

» 2013年02月05日 08時00分 公開
[増田弘道,Business Media 誠]

マンガを物語伝達のメディアに

 私たちはマンガの隆盛をごく当然のことと受け止めているが、日本にマンガが発展する“歴史的必然性”はなかった。米国のように映画でも良かっただろうし、小説や演劇でも良かったはずである。

 しかし、日本では手塚の存在があったため、マンガがそれら競合メディアを制して主導的立場となった。これこそが手塚最大の業績であるが、では手塚はどのようにしてマンガを物語メディアとして最適化できたのだろうか。

 手塚が物語メディアとしてのマンガを最適化することに成功した最大の理由は、エンタテインメント精神に富んだ複雑なストーリーをマンガというメディアに付加し、定着させることに成功したからだろう。

 多くの論者が指摘する通り、手塚はさまざまな先行文化を集積し、それをストーリーマンガという形態に結実することに成功した。これについては本人も「手塚マンガは昭和のマンガ史のカリチュアライズしたものといっていいと思いますね(笑)」(『漫画の奥義』より)と語っているが、手塚のマンガには戦前のマンガだけではなく、講談や落語といった日本の伝統文化から、紙芝居、宝塚歌劇、映画、アニメ、SF、文学、アメコミといったあらゆる文化が集積・統合されている。

 それらの文化、特にマンガや映画やアニメ、文学といったジャンルに対する手塚の造詣の深さには舌を巻くものがあるが、これを自家薬籠中の物とした上で“マンガ”という表現に結実させたところに手塚の真骨頂があるのではないかと思う。

 大塚英志が『物語消費論』で「人が〈物語〉を欲するのは〈物語〉を通じて自分を取り囲む〈世界〉を理解するモデル」と語っているように、人間は物語なしに世界を理解し得ない。そのため、マンガに映画や小説並みのストーリー性を付加した手塚マンガは、世界理解のために物語を必要とする人間のニーズに大いにマッチしたのである。

 手塚が導入したストーリーは、それまでギャグが主流の他愛のないメディアであったマンガを一変させた。手塚以前のマンガはあくまで子どもだけのものであり、大人になると自然と読まなくなるものであった。しかし、手塚が作品に込めたストーリーは豊富な知識と高い教養に裏打ちされたもので、戦争を体験することで得られた無常観と相まって、その後の日本マンガの原形となる“主人公が苦悩しながら成長する”といった展開のものであった。

 その影響か、日本では『スーパーマン』のようにただ強いだけのヒーローは支持されない(最近のアメコミ原作の映画のスーパーヒーローが悩むようになったのは多分に日本のマンガ・アニメの影響を受けていると思われる)。何度も壁にぶつかり、悩みながらもそれを突破していく。結末にしても決してハッピーエンドばかりではない。戦争体験から来るものだろうが、ヒーローであっても最後に別離や死が訪れる場合もあり、しばしば運命に翻弄される。

 手塚を始祖とする日本のマンガに登場するヒーロー、ヒロインは逆境に置かれながら、その中で悩み苦しみながら成長を遂げる。挫折と成長、つまり手塚のストーリーマンガの本質は内面の成長を伴うビルドウングスロマン※なのである。そして、この手塚が試みたビルドウングスロマン的ストーリー展開は、手塚以降のマンガに引き継がれ、アニメを始めとする日本のポップカルチャーに大きな影響を与えることになる。

※ビルドウングスロマン……ドイツ語の「Bildungsroman」で、主人公の内的教養・人格形成の過程を描く小説のこと。18世紀啓蒙主義の哲学的、宗教的理念に基づく、人間の魂の発展物語を契機とし、人間の内部の動き、生成発展、完成を描く小説のスタイル。代表作は「人格の調和的完成」を目指すゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』やトーマス・マンの『魔の山』、ヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』など。

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