「復興という状況にはまだない」――陸前高田市長が語る被災地の現状(1/4 ページ)

» 2013年01月26日 13時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

 東日本大震災による大津波などで、死者1556人、行方不明者218人、家屋倒壊数3341人と、大きな被害が出た岩手県陸前高田市(2012年12月31日時点)。死者・行方不明者を合わせると市の人口の7%以上が失われたことになり、トップである戸羽太市長も妻を亡くしている。

 震災から2年が経とうとしているが、日本外国特派員協会で1月24日に講演した戸羽氏は「正直申し上げて復興という状況にはまだない」と訴え、その原因として縦割り組織の弊害や、通常時のルールから抜け切れていない問題があると指摘した。

陸前高田市長の戸羽太氏

通常のルールを変えられないでいる

戸羽 岩手県の中では陸前高田市が一番大きな被害を受けており、たくさんの犠牲者が出て、今なお、たくさんの方々が行方不明という状況にあります。現在でも200人以上の方が行方不明で、昨年1年間、警察や海上保安庁の方々に捜索をしていただきましたが、発見された行方不明者はたったの1人で、大変危惧しているところです。

岩手県南部の沿海部にある陸前高田市(出典:Google マップ)

 この間、私は政府に対してさまざまな問題を指摘してきましたし、ある海外のメディアからは“トラブルメーカー”という書かれ方もされました。ただ、私は「復興を進めていくためには何が問題なのか」ということを相手が首相であろうが、しっかり言っていくことが必要なんだろうと思って活動してきました。

 私は2011年3月11日に被災する直前の2月6日の選挙で市長にさせていただいて、2月13日からが任期という中で、こういった被災を受けました。私は生まれて初めて、その時に絶望というものを感じました。

 津波があった時は市役所庁舎の中に逃げたのですが、その日は市役所に閉じ込められてしまいました。次の日の朝、山の方に登っていったのですが、妻の行方が分からなくなってしまい、捜しに行くことができない自分というのがいました。私は市長ですから当然仕事をしないといけないわけですが、一方で自分が人間として、あるいは夫として、本当に情けない、申しわけない、そういう気持ちでこの間も仕事をしてきています。

陸前高田市の旧市庁舎。海から約1.5キロのところにある(2012年11月、撮影:吉岡綾乃)

旧市庁舎の斜め向かいにある市民会館。今年度中の解体が決まっている。旧市庁舎と市民会館、2つの施設で112人が亡くなった(2012年11月、撮影:吉岡綾乃)

 被災した時、絶望の中でいろんなことを考えました。でも、時間が経てば、1年経てば、2年経てば必ず良い状況にあるだろう。そういうことも思いながら仕事をしてきたのですが、2年が経とうとしている現在、正直申し上げて復興というような状況にはまだありません。

 2年という長い月日があったにも関わらず、現状はがれきの山が残り、津波の被害を受けた公共施設が残り、まだまだ復興という状況にありません。このことについて、私だけではなく多くの被災者は大変将来に対する希望が見えていないのではないかと思っています。

 なぜ復興が進まないのか。当然、いくつかの理由があるわけですが、一番の原因はやはり国の考え方だと私は思っています。

 政治家の方々には「1000年に1回」「未曽有の大震災」「被災者に寄り添うんだ」と言葉では言っていただいています。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。例えば被災した時、陸前高田市にスーパーもお店も1つもなくなってしまって、水1本買うところがない。もちろん食料などない。そういった時にスーパーを建てようとしても、「そこは農地だからスーパーなんて建ててはいけません」となるのが日本の現実だと私は思っています。

 みなさんご存じの通り、日本は縦割り社会と言われていて、特に国のシステムが縦割りになっているわけです。当時、ガソリンがなくて、大変苦慮しました。なぜガソリンがないと苦慮するか。私たちのところでは毎日毎日たくさんの遺体が発見されます。そして、その遺体をそれぞれ小学校や中学校の体育館に収容していただくのですが、家族を探しておられる方々がガソリンがないために、遺体を探しに行くこともできなかったんですね。そういうことで、大変苦慮しました。

 残念なことに陸前高田市はガソリンスタンドが全部被災していて、貯蔵タンクがなかったので、いつまでたってもガソリンが来ませんでした。その時、当時の副大臣をされていたある政治家がいらっしゃって、その場で経済産業省に電話していただいて、ドラム缶でガソリンを運んでいただくことになりました。そして、どうやって給油しようかという話になった時、大変危険な作業なので、自衛隊の方々にお願いすることになりました。しかし、いよいよ明日ガソリンが来るという日になった時、経済産業省から「これは経済産業省が出すガソリンなので、自衛隊の方々に給油はさせないでください」という電話が来ました。

 それくらいの縦割りというものが現実にあるということを、私は初めて知ったわけです。そういったひとつひとつのよく分からないルールが、現実に我々の復興を遅らせているのだと思っています。どんな緊急時になっても通常のルールが生きていて、緊急だという意識を国に全然持っていただけない。これが一番大きな理由だと思います。

 例えば山の木を切って、あるいは山を崩して平らな地面を作って、そこに家を建てることをこれからやります。しかし、その手続きはすごく時間がかかります。私たちがその計画を市民のみなさんに発表したのが2011年8月、実際に工事が始まったのは2012年11月です。私たちにとっての1日と、国会議員のみなさまにとっての1日は同じ1日かもしれませんが、私たちにとっての1日は全然意味が違います。そういうことを国の人に分かっていただかなければ、復興は進まないだろうと思っています。

 先ほど申し上げた通り、陸前高田市は現状、まだまだ復興状況ではありません。まだ、がれきの山がいっぱいあったりするわけです。みなさんご存じの通り、今回津波の被害を受けたところは、本当に田舎の町です。人口が少ない、経済的な基盤が弱い、財政的な基盤が弱い、高齢化率が高い、そういうところがやられてしまいました。2年経って、今なお被災地は被災地の状況のままです。

国道45号線沿いにある「道の駅高田松原」。高田松原は海に面し、白砂青松の浜は日本百景にも数えられたという。大震災で被災し、現在は休館を余儀なくされている(2012年11月、撮影:吉岡綾乃)

 でも、東京や大阪で同じことが起こったら絶対にそんなことはない、もっと早く進んでいるはずだと私は思います。そこがやっぱり田舎に住む我々からすると、非常に悔しい思いをしているわけです。

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