松井秀喜がバットを置いたワケ臼北信行のスポーツ裏ネタ通信(1/3 ページ)

» 2013年01月24日 08時00分 公開
[臼北信行,Business Media 誠]

著者プロフィール:臼北信行

日本のプロ野球や米メジャーリーグを中心としたスポーツ界の裏ネタ取材を得意とするライター。WBCや五輪、サッカーW杯など数々の国際大会での取材経験も豊富。


 スーパースターが静かにバットを置いた。2012年12月27日、ニューヨーク市内のホテルで引退会見を開いた松井秀喜氏のことである。吹っ切れた表情で報道陣の前に姿を現した同氏は引退の決断に至った最大の要因として、34試合の出場で打率1割4分7厘、2本塁打、7打点に終わった2012年シーズンの成績を挙げた。

「(レイズの一員として)メジャーに上がって最初は結果も出たんですけど、その後、プレーする機会をたくさん与えていただき、重要なクリーンアップで出させていただいたにもかかわらず結果がふるわなかった。結果が出なくなったことで、命がけのプレーも終わりを迎えた」

 日本球界や古巣・巨人への復帰は選択肢に入れることはなかったという。「10年前、ボクは巨人の4番ということに誇りと責任を持ってプレーしていました。もし日本に戻ってプレーすることになれば、たくさんのファンの方々は10年前の姿を見たいと期待してくださると思う。正直に言って、自分が戻ったときに、その姿に戻れる自信が強くは持てませんでした」

 その言葉通り、松井氏の身体には10年前と比較して明らかな衰えが生じていた。いや……。厳密に言えば、同氏の力は約3年前の2009年秋を境目に大きく下降線を辿っていったのだ。一体、ゴジラに何があったのか。当時の状況をプレーバックしてみたい。

両ヒザに抱えた爆弾、「野球ができるのが信じられない」

 2009年、松井氏はヤンキースのDHとして活躍。同年秋のポストシーズンにおいて日本人として初のワールドシリーズMVPに輝き、チームを9年ぶりに世界一へと導いた。まさに至福のひととき――。満面の笑みを浮かべながら「本当に夢のような気分」と語った舞台裏で松井氏は、ある大きな悩みをひそかに解決していた。それは慢性化しつつあった両ヒザ痛を克服したことだ。

 巨人時代からの古傷となっていた左ヒザを知らず知らずのうちにかばいながらグラウンドに立ち続けた結果、2007年のシーズン終盤に右ヒザを故障。翌2008年に今度は左ヒザ痛を再発させ、苦しみながらのプレーを強いられていた。打っても一塁への全力疾走すらできず、日常生活においても階段の上り下りで苦痛に顔をゆがめる日々……。周囲のチームメートからも「あのコンディションで野球のプレーができるのが信じられない」と言われるほどの重症だった。

 ところが2009年のシーズン終盤、あれだけ悩まされていた両ヒザの痛みが不思議なほどにピタリと止んだ。一般的には「2007年オフに右ヒザ、2008年のオフには左ヒザと、それぞれ施された内視鏡手術が功を奏したからだ」と思われているが、そうではない。実際は2009年の夏から松井氏が雇った個人トレーナー、A氏の力によるものが大きかった。

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