日本では不可能と思われていたテレビアニメ制作を手塚が決心したころ、米国ではすでに多くの作品が放映されていた。過去に公開された劇場短編映画の放映から始まり、映画館の人気者だった『ポパイ』『トムとジェリー』などが家庭での人気も集めた。
テレビアニメーション『進め!ラビット』が登場したのは、1949年のこと。プロデューサーのジェイ・ウォードは動画とセル画の枚数を極端に減らし、背景にも同じ場面を何度も使うといった手法を取り入れて、動画など付加価値の低い作業を人件費の安いメキシコに外注した。
ウォードが開発した手法を完成させたのが、ジョゼフ・バーバラとビル・ハンナであった。MGMで『トムとジェリー』の制作者として有名だった2人はアニメーション部門が閉鎖されたため、ハンナ・バーバラ・プロダクションを設立してテレビアニメーションに取り組むようになった。彼らがテレビアニメーションを制作するにあたってとった手法がリミテッドアニメーション※である。フジテレビでは1961年からハンナ・バーバラ・プロダクションの『強妻天国』などを放映していたので、手塚も当然この手法の存在を知っていたと思われる。
驚くべきことにハンナ・バーバラ・プロダクションは、1960年代初期にすでに30分サイズのテレビアニメーションを常時4〜5タイトル制作できる体制にあった。MGMやワーナーの劇場アニメーション部門が閉鎖され、テレビアニメーションに人員が流れてきたという事情もあるが、手塚がアトムの製作を開始するころには米国のテレビアニメーションは絶頂期を迎えていたのであった。
ただ、米国におけるリミテッドアニメーションの状況について手塚も漠然とは知ってはいただろうが、その具体的な手法や制作工程、予算までの知識はなかったと思われる。手塚にあったのは、堅い決心だけであった。
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