企業人として考えるか、消費者として考えるか――モラルジレンマを考える(2/3 ページ)

» 2012年12月21日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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私たちは「マルチロール」な存在である

 このケースを考える時、個人の頭の中でも、そして組織内の議論においても、さまざまな視点・価値的判断軸が出てくるだろう。例えば、「安さを追求した商品を出すことが消費者のためである」「シェアを取る=数量を押さえることが事業の根幹である。シェアトップの座を奪われることは、組織の士気に影響する」「数量の論理・利益至上主義のみで進める事業は長続きしない」「地球環境を守ることは一地球市民としての義務である」「目先の競争のためにブランドイメージをゆがめてはならない」など。こうした多様にある価値的判断によって、「正しいこと」はいくつも存在する。

 私たちはこうした正解値のない問題に対し、具体的な事実やデータを把握し、論理的に分析をし、客観的に対応法を考える。しかし、そうやって追いこんでいっても、切れ味よい答えがなかなか出てこない。それは、私たち個人が「マルチロールな(複合的な役割を持つ)」人間だからだ。

 例えば、自分がどこかの会社に勤め、何か事業を企てている場合、私たちは「一企業人」としての側面を持つ。一企業人である限り、事業の拡大を狙うし、組織が永続するために利益を追求する。競合会社を蹴落とすために手段を尽くすし、より多くの消費者を取り込もうとするだろう。一企業人としての自分は、行政・法律の制限、消費者団体の意見、メディアの批評、株主の圧力、取引先との関係性、地域・社会の動き、社内の目など、いろいろなものに囲まれている。これら外部の力と複雑にやりとりをしながら物事を動かしていく。

 と同時に、私たちは「一人間」としても存在する。つまり、家に帰れば、誰かの親であり、あるいは子であり、市民であり、地球人であり、消費者であり、良識人である(次図)。

 ボックス・ティッシュのケースにおいて、もしあなたが「安さで太刀打ちできる製品を出して、何が何でもトップシェアを維持すべきだ」と考えるのは、一企業人としての価値的判断だ。しかし同時に、一人間としてのあなたの心の奥からはこのような声が聞こえてくるかもしれない──「資源のムダを知りながら、それを脇に置いて価格競争に明け暮れていいのか。子どもたちの世代に少しでもきれいで豊かな地球を引き渡してあげるのが、大人の責務ではないのか」と。ここにモラルジレンマ(道徳的価値の葛藤)が生じる。

 チェスター・バーナードが『経営者の役割』の中で、「組織のすべての参加者は、二重人格――組織人格と個人人格――を持つ」と記述したように、事業現場におけるモラルジレンマはこの2つの人格の間の揺れ動きにほかならない。組織の目的を優先させるのか、個人の動機に根ざすのか、その力学が複雑になればなるほど私たちは悩みもだえる。

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