鉄道のトンネルは、安全なのか杉山淳一の時事日想(3/4 ページ)

» 2012年12月07日 08時01分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

鉄道トンネルの事故と対策

 では、鉄道トンネルの安全はどうなっているだろうか。何度も書いているが、鉄道の安全対策の歴史は事故の歴史とリンクしている。交通事故が起きた交差点に信号機がつけられるように、事故が起きて初めて対策が行われる。その長い歴史が現在の安全を築いてきた。

 例えば、換気という面では1928(昭和3)年に北陸線の柳ヶ瀬トンネル(現在は廃止)の窒息事故が対策のきっかけになっている。この事故では重連(機関車で牽引する際、2両で行うことを意味する)の蒸気機関車による貨物列車が過積載のため空転し、トンネル内で立ち往生した。そのためトンネル内に煙が充満して乗務員が窒息。逆方向から救援に向かった蒸気機関車の乗務員たちも窒息。合計12人が昏倒し、3人が死亡した。この対策として長大トンネルに遮断幕を付けたり、機関車に集煙装置を付けたりした。

 火災事故としては北陸トンネル火災事故が知られている。北陸本線の敦賀と今庄の間にある北陸トンネルは全長13.8キロメートル。在来線の山岳トンネルでは日本最長だ。ここでは1969年と1972年に火災事故が起きている。1969年は大阪行の寝台特急日本海の電源車から出火。規則ではただちに停車しなくてはならない。しかし運転士の機転で走行を続けてトンネルを突破。車両は燃えたが人的被害はなかった。報道では運転士の機転が賞賛されたが、当時の国鉄は規則違反を問題とし、運転士を乗務停止処分とした。

 1973年の北陸トンネル火災事故は、規則を守った故の大惨事だった。青森行の急行きたぐにの食堂車から出火し、規則に忠実に停車。しかし寝台列車で乗客の動きが遅かったこと、トンネル内照明がなく脱出が困難だったこと、煙が充満したことなどから、30人が死亡、700人以上の重軽傷者が出た。この対策として、トンネルや鉄橋など避難路のない場所で火災が起きた場合は停止させないという規定となり、車両の難燃化対策も強化された。

 トンネル内壁の崩落事故も1999年に起きている。山陽新幹線の小倉と博多間にある福岡トンネルで、博多行のひかり351号にトンネル天井壁が落下し、架線を破断して屋根を直撃した。幸いにも人的被害はなかった。ただし、後の点検で北九州トンネルでもコンクリート片の落下物が発見された。原因はコンクリート内壁の施工不良で、コンクリートに塩分を含んだ海砂が使われたためという説もある。

 1995年の阪神淡路大震災以降、山陽新幹線では高架橋からのコンクリート片落下がたびたび発見されており、点検の不備を指摘されていた。この事態を重く見ていれば、もっと早く補修できたかもしれない。人的被害がなかったことが不幸中の幸いだった。この対策として、JR西日本は点検技術の強化と補修作業に取り組んでいる。

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