オバマのキスを拒絶するスーチー女史の本音――ミャンマーで何が起きている?伊吹太歩の世界の歩き方(2/4 ページ)

» 2012年11月29日 08時00分 公開
[伊吹太歩,Business Media 誠]

ミャンマーの民政移管はかりそめの民主主義

 ミャンマーといえば、2010年3月の民政移管まで、軍事体制を敷く独裁国家だった。ここ数年のミャンマーの動きを簡単に説明すると、軍事政権が国のトップを軍人から大統領に替えた。そして政治的にも経済的にも開放路線にかじを切ったのだ。

 ミャンマーはまず、民政移管の「前」に憲法改正の住民投票を行い、民政移管の「後」に総選挙を行った。ただ考えるまでもなく、民政移管前の軍事政権のもとでの憲法改正と、その是非を問う住民投票はまったく非民主的なもので、実際にまともな投票ではなかった。大規模ハリケーンが国を襲い多くの死者と甚大な被害が出る中、その8日後に無理矢理、住民投票を断行して、有権者の92%が新憲法に賛成票を投じたと結果を発表した。無茶苦茶である。

 こうして承認された新憲法には、国会議員の25%は軍が独断で任命するとある。さらに選挙になれば、軍の政党で現在与党の連邦団結発展党(USDP)が力技で票数を確保するのは目に見えていた。要するに議会を軍が支配することがほぼ保証されているのだ。

 このような状況で民政移管の後に行われた総選挙が民主的なわけがない。知人のミャンマー人たちは「選挙自体がめちゃくちゃで、結果も当然、軍の都合のいいように操作されている」と口をそろえていう。そもそも選挙自体があまり意味をなさないのだ。実際にいきなり投票所が封鎖されたり、投票を拒否される人が続出。結果は当然のようにUSDPの圧勝だった。

 選挙後、軍主導で経済開放が進められていく。それまでのミャンマーは米国やEUの経済制裁によって限られた国々とビジネスを行ってきた。欧米の経済制裁を無視してミャンマーでビジネスを行っていたのは、中国や韓国、隣国のタイなどだ。

 中国や韓国が「カネのためには制裁など関係ない」という感覚でいるのは想像できる。タイに関しては、周辺のアセアン諸国がミャンマーでビジネスを行うための「ハブ」のような役割を担っていた。タイ企業を通して、例えばミャンマー名産のルビーなどを買い付けるといった具合だ。

 ただミャンマーは、経済的に好調の中国に頼り切っていた。そしてその傾向はどんどん高まり、もしかしたらミャンマーは中国の属国になってしまうのではないかというレベルにまでなった。実際に、ミャンマー中部のマンダレーは中国の影響が強くなりすぎて、看板も中国語だらけ、道の標識などはさすがに英語を加えるようお達しが出たといわれる。

 とにかく、ミャンマーの経済開放には中国の影響力を低下させたい軍部の意向が大きく関わっていた。そして経済開放のネックになっていた欧米の経済制裁を解除させるために、スーチーを自由にして国会議員に据え、政治犯を解放し、メディア検閲でも少し譲歩してみせた。

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