コラム
» 2012年11月16日 11時00分 UPDATE

「誠 ビジネスショートショート大賞」吉岡編集長賞受賞作:なんて素敵にフェイスブック

夏から秋にかけて行った「誠 ビジネスショートショート大賞」。吉岡編集長賞を受賞した作品が、山口陽平(応募時ペンネーム:修治)さんの「なんて素敵にフェイスブック」です。平安時代、塀に文章を書くことで交流していた貴族。「塀(へい)に嘯(うそぶ)く」ところから、それを「フェイスブック」と呼んだとか。

[山口陽平(応募時ペンネーム:修治),Business Media 誠]

 「武家が戦を嫌がるとは何の冗談かっ!」

 昼下がりの屋敷に雷のような大声がとどろきわたり、池から鯉がぽちゃんと飛び出した。平安京の端っこまで聞こえたんではないかというその声に恐れをなした俺は、頭を下げてひたすら言いわけをするしかない。またフェイスブックで炎上したからだ。

 バリバリの武家の流れを組む我が父君は右大将の風格を備えていてものすごく怖い。稚児の頭囲ほどはあろうかという腕の太さを誇り、都の中では朱雀門に住み着いた鬼を片手で絞め殺したと噂されているほどだ。隣の屋敷へ行くにも牛車を使うようなこの平安貴族の暮らしの中で、いかに鍛えればそのようにマッチョになるのだろうか。あたりは9月ともなれば萩やススキが秋風に揺れて物憂げな雰囲気を演出しているのに、我が父君ときたらこめかみの青筋に沿うように汗が流れていて暑苦しいことこの上ない。

 その父君の威光によって、俺はやんごとなく出世コースを歩んでいる。日々、都の治安を守り、跋扈(ばっこ)する悪人を捕まえ、帝の覚えもめでたく……なっているはずだった。けれども一昨年くらいから流行しているフェイスブックにうつつを抜かしている間に、同期の中で特に出世しているかというとそうでもなく、では仕事面以外で目立つかというと詩歌やら蹴鞠やらもぱっとしない普通の貴族になってしまった。それどころか最近何度か立て続けにフェイスブックで炎上してしまって大変だ。今もそのことで怒られている

 事の発端は同期のやつの書き込みだ。「東国で乱の兆しがあるって。戦になったら嫌だね」みたいなことをフェイスブックに投稿していたので、俺は何も考えずに「をかし」を送った。翌朝になって宮中に参内したら、それが色々とうるさい人たちの目にとまっていたのである。

 「名門の武家の若君が乱を恐れるとは平安の世が続きすぎるのも考えものですかな」

 とか

 「私が若ければ『今すぐ馬で赴き首をとって参る』くらいは言うものを」

 とか

 「血生臭いことが嫌でしたら近衛府などやめてうちへいかがか。蔵の米を数えるのに人手が足りませんゆえ」

 なんていう嫌みを誰かと会うたびに、たらたらと言われるのである。自分だけならまだしも、父君の耳に入れる余計な奴がいるせいでこうして説教されるはめになっている。

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 このフェイスブックというのはとても便利だ。昔ならば日記を書いて、それを文にしたためたら従者に託して、あの人は風流を好むから紙に香をたき染めてから渡しておいてくれ、などなどと異常にめんどくさかった。

 しかも自分から送るだけならまだしも、知り合いからも大量の文を受け取る。それにいちいちコメント返しをしなくてはならないのでとても疲れるし、姫君から「もうすぐ春だから桜色の紙を選びましたのよ」みたいな女子力の高い文をもらうこともあって、殿方たるものは「君の素敵な心遣いに感動したよ」というのを形にして表現してあげるのが良いとされるので高級スイーツを送ったりとか、女子会をセッティングしてあげたりとかしなくてはならない。そういうのに限って「春はあけぼの」みたいな意味不明な内容が書いてあったりして疲れる。

 うっかりスルーしてしまうと、あの公達は本当に空気読めないという噂が女子同士のつながりで一瞬にして広まる。結婚にも影響するので馬鹿にできないし、もし日記に「わろし」なんて書かれたら千年くらい経っても後世の人からださい殿方代表と思われてしまいそうで、それだけは本当に勘弁してほしい。

 そういう色々な面倒から開放されたい公達が少なくなかった。それで若い公達の間で自然発生的に自宅の塀に日記を書くという現象が生まれる。家の前を牛車で通りがかったついでに読んでいけば、移動中の隙間時間に色々なことができるのである。

 最初は塀の日記を読んでは返事に文を送るという組み合わせだったのが、めんどくさいから塀にそのまま返事を書きつけるようになった。さらに都の中央の通りである朱雀大路から遠い場所に屋敷を構えた貴族はなかなか塀の日記を読んでもらえないことに気付いて、朱雀大路まで自分の日記を張り出しに来るようになった。

 そしたらもうみんなで1カ所に集まってやろうということになり二条河原に大きな大きな掲示板ができた。主に若い公達は1日に何度も二条河原に従者をやっては自分に与えられた区画に日記を書き込み、従者は知り合いの日記に更新があれば紙にしたためて主人に持ち帰り、そして主人からの日記の更新や知り合いへの返信があればまた二条河原へ書き込みに行ったりという仕組みが作られたのである。

 これを「塀(へい)に嘯(うそぶ)く」ということで「へいうそぶき」と呼ばれていたのが、流行に敏感な若い公達の間でフェイスブックと読み慣わされるようになり正式名称として定着した。フェイスブックでは前から「をかし」と書き込む人がとても多かったのだけれど、何度も何度も「をかし」と書き込まなくてはいけない従者がそれを面倒に思ったことから判子を考えた。判子の意匠は握った拳から親指だけを立てている様子で誰が見ても分かりやすく、いとをかし。

 しかし今、父君に説教されているのはその「をかし」が問題になったからである。文官系の貴族が厭戦ムード丸出しで書いた日記に対して、武家の若君連中の代表みたいな存在である俺が「をかし」とやったことが気に入らないらしい。別に心の底から賛同しているとか、いやあ趣き深いね、なんて思っているわけでもないんだけれども、「をかし」という額面通りに受け取ってしまう人もいるらしい。

 その前は寺から仏像を盗んだ大罪人を俺が捕まえてやったので、幸せな気分で「逮捕なう」と書き込んだのが、職務中にフェイスブックにうつつを抜かすとは何事かと批判された。さらにその前は物忌の日で仕事を休んだ日にたまたま友達に赤ちゃんが生まれたので、「おめでとう」と書き込んだら「仕事は休んでもフェイスブックはやるんだね」と嫌みを言われた。ものすごく夢見が悪かったけど出勤したった、みたいなことを書いたら貴族失格だとも言われた。公達同士のこういうネチネチしたやり方は大嫌いだ。

 それでもまだ自分はネチネチした嫌みのレベルで済んでいる分だけましな方である。子どもを授からないという貴族を占ったことを書き込んだ陰陽師は守秘義務違反で資格剥奪になったし、美人で有名な内親王の顔を垣根越しに拝見できてラッキーと書いた下級貴族は、謎の人事が発動して須磨に転勤になった。同期の弟なんて、さる御方の没後何年かの法要中にこっそりフェイスブックを読んでいたのが見つかったことで出家させられてしまった。残る人生を賭けて御霊の安寧を祈るとのことで、恐ろしいこともあったもんである。こんな不祥事が続発したので右中弁が取りまとめ役となって「フェイスブック整理令」というルールを作っているところと聞く。

 しかし何かがおかしい。その大炎上した人々は当然といえば当然である。10人中10人が眉をひそめるような話だ。それと比べれば俺の書き込みなんてかわいいものじゃないか。確かにほめられることじゃないのは認める。だけどみんなの日記だって過去にさかのぼって細かく見ていけば同じような書き込みが1つや2つはあるだろう。なぜ自分ばかりがこんなネチネチしたことを突っ込まれるんだろうか。ん? 自分ばかりに? なぜ? ふと勘付くところがあって父君に問う。

 「父君はフェイスブックしてないよな?」

 「もちろん。あんな軟弱なものはやらん」

 「じゃどうやって俺の日記読んだの?」

 「さっき公卿同士で一緒に昼飯食った時に話題になったんだ」

 「誰から?」

 「橘中納言と、権帥と、右大臣殿だったな」

 「年配の人が多いね? みんなフェイスブックしてるの?」

 「ああ、つい最近始めたそうだな。そりゃわしも少しは興味があるが年をとるとああいうものは難しそ……あ、おい。待て。どこへ行く!?」

 父君が話し終えるのを待たずして、俺は自室に駆け戻った。従者に命じて先ほどの公卿たちが最近フェイスブックに書き込んだことを持ってこさせて床一面に並べる。

 「そういうことか」

 そうつぶやいた俺はすぐさま一遍の漢詩を書き付けると従者に言った。

 「日が高いうちにこれをフェイスブックに書き込んできてくれ」


 あたりを夕闇が包み始めた頃、俺は牛車で東山の永楽寺へと向かっていた。そこに俺のフェイスブックを炎上させている元凶が潜んでいるはずだ。人目を避けるため大路を通らぬように命じているためゴトゴトと車が揺れる。もし予想が外れていたならばまたフェイスブックでボコボコに叩かれるかもしれない。そうなったら今度こそは形ある懲罰が下るかもしれない。そんな迷いを振り切ろうとするのだが、次から次へと失敗の可能性が頭に浮かんでくる。父君の説教のせいで昼飯を食いそびれたこととのダブルパンチで胃が痛む。

 そうこうしているうちに寺に着いた。山門に案内役らしき小僧が立っている。フェイスブックで見つけた歌会。親父の話にあった公卿たちが揃って参加表明している歌会は、確かに今日この場所で開かれるようだ。中へ入ろう。

 案内された部屋の入り口には御簾が下がっていた。中へと入る前に軽く深呼吸をして表情を整える。笑えばいいのか怒ればいいのか。この中で開かれているのは歌会にかこつけて公卿の爺さんたちがフェイスブックの使い方を覚える勉強会だ。おそらくこの歌会に俺を炎上させたがっている黒幕がいるに違いない。

 「こんばんは」

 一度は御簾を蹴破って乱入するという体験もして見たがったが、万一間違いだと洒落にならないのでやめておこう。にこやかな笑顔を浮かべて、あいさつを述べる。

 「今晩はお招きをいただきありがとうございます」

 「左近の少将殿。ど、どなたからのお招きでしたかな?」

 周りのギクシャクした雰囲気に確信をした。俺の昼間の書き込みは、すでにこの場でネタにされた後なのだろう。良いことだ。狙い通りに罠が発動したのだから。

 「いえ、フェイスブックで面白そうな歌会があるのを見つけましてね。私には招待が届いていなかったのですが居ても立ってもいられずにこうして参った次第です。ご迷惑でしたでしょうか?」

 「どうしてそんなことがありましょうか。左近の少将殿のように詩文漢籍に通じたお方をこれまでお招きもせずにいたのは気後れがしたまでのこと。大変な失礼をばいたしました。ささ、こちらへ」

 と案内したのは俺と同じ近衛の府に勤めるミチタカだ。官位が近く出世のライバルだがこいつとの因縁はそれだけはない。フェイスブックで俺が「をかし」をたくさんもらった時は、必ずこいつも「宮中あるある」なんかで嫌らしく「をかし」稼ぎをしてくるのだ。つまり仕事だけでなくフェイスブックでのライバルなんである。

 こいつが歌会で破壊工作を仕掛けているとにらんだ俺は、フェイスブックに「罠」を仕掛けてきた。先ほどの公卿達の困惑した表情を見るにどうやら「発動」しているようである。頬に薄笑いが浮かぶのをこらえながら俺は口を開いた。

 「参加の知らせもせずに参ったことおわびいたします。みなさまの手元を見るに歌会の題材があるようですが、急に参じた私の分もいただけるものでしょうか?」

 周囲の雰囲気がぐっと重くなったところで良い感じに空気の読めない小坊主が私の後ろににじり寄る。

 「こちら欠席の方の分です。どうぞ」

 空気の読めない小坊主をにらみつけるミチタカを横目に、差し出された巻紙のひもを解いて目を通す。

 「ほほう。題に『フェイスブックまとめ』とありますね。フェイスブックで多くの人が目を通して話題になったような事柄を要約したものなのですね。いやはやこれは便利なことを考えたものです。どのようなことが書いてあるのでしょう。『炎上続きで話題の若君、こりずにフェイスブックに書き込みて曰く、戦などむなしいことだ。決してすまい、などを意味する漢詩とのこと。武家の流れを組み率先して帝をお守りすべき家の者がこのような頼りなさとは如何』。なるほどなるほど。どこかで聞いたことのあるような方ですが一体誰のことなのでしょう?」

 「そっそれはですね。えーと。私もどこで見たのか忘れましたが、フェイスブックで色々な人が『左近の少将殿が投稿された漢詩が軟弱ではないか』とか『批判を招きそうだ』とかいう声をあげていて」

 というミチタカの話をさえぎって、俺は一遍の漢詩を読み上げる。

 「……という漢詩をですね。私が書き込んだのですよ」

 公卿たちはいぶかしげな表情を浮かべる。しかしその目線は俺ではなくてミチタカを向いている。事情が飲み込めない様子のミチタカはキョロキョロとあたりを見回している。しばしの沈黙の後に俺はゆっくりと話し始めた。

 「この詩は『戦なんてしたくない』と女々しいことを言っているように聞こえます。が、実のところはこの前に対になる漢詩があるのですよ。漢代に武功で名を馳せた武将のものでしてね。対の漢詩では『俺は強くなりすぎた。もはや誰と戦っても手ごたえを感じることがない』と嘆くのです。それを受けて『戦などしてもむなしいだけだ。決してするまい』となるのですよ。誰と戦っても必ず勝ってしまうから面白くないくらいに俺は強いぜ、というわけですね。我が国では息子が勇ましくあることを願う武家でよく教えられるものなのです。文官の家系に生まれ、しかも大学寮時代に漢詩を落第しかかったミチタカ殿はご存じないかもしれませんがね」

 周りの公卿たちは、俺の解説を待たずしてすべて理解していた様子であった。そして口々に、まとめは便利だけど原典を読まないと怖いねとか、ミチタカのまとめ文を信じていたら自分まで漢詩の知識がないと思われるところだった、といった雑談が始まる。最終的には公卿たちの話はこのようにまとまった。

 「やっぱり自力でフェイスブック覚えるか。明日からやってみよう」

 もはや勉強会が続くこともなさそうだ。脅威は去ったと見てよいだろう。俺はがっくり肩を落としたミチタカを見て、何だかかわいそうな気持ちになってきたので一人先に帰ることに決める。入り口のところへと引き下がり退出のあいさつを仕掛けたところ、公卿の1人から声がかかる。

 「せっかく歌会に参ったのでしたら」

 先ほどの空気の読めない坊主から紙と筆とを渡される。10分も粘ったのに何も思い浮かばなかった俺は、額に大量の汗を浮かべつつ「これにて」と震える声で申し上げて退出。初めて自分の力でフェイスブックに投稿をしようという公卿たちに、「読むに明るく詠うに暗い若君のご活躍」という格好の話の種をご提供差し上げたのであった。


 かの公卿たちがまとまってフェイスブックを始めたことに触発された父君も、いよいよフェイスブックを始めることになった。ミチタカの破壊工作がなくなったことで、俺の炎上はすっかりなくなった。事件以来ミチタカは「空きれい」くらいしか書き込まないので、「をかし」を争う相手がいなくてつまらないとも言えなくはない。それでも平和なのは良いことだ。

 父君も俺がフェイスブックの手ほどきをしてあげている手前か、以前よりも優しくなった。さて今日の夜は「笑ったら方違え」の披露大会があるので抜群のネタを考えるとしよう。

 「おいっ。大変だ!」

 昼下がりの屋敷に雷のような大声がとどろきわたり、池から鯉がぽちゃんと飛び出した。平安京の端っこまで聞こえたんではないかというその声に、俺は筆を取り落としそうになりながら父君に向き直る。

 「この間のお前の事件があっただろう。あれに触れて『されど我が息子は特に漢詩に秀でたるものでもなし。妹の菜奈姫は髪も揃わぬ幼きころより数多の漢詩をそらんずれば、今も兄に手ほどきを授けるほどなり』と書いたんだ」

 「恥ずかしいこと書くなよ。事実だけど。そんなことで炎上するようには思えないけど?」

 「これに帝より「をかし」を賜った。きっとこれは菜奈姫を妻にという思し召しに違いない。今から一緒に返事を考えるぞ!」

 ああ。フェイスブックもめんどくさくなってきたな。

「なんて素敵にフェイスブック」は第1回誠 ビジネスショートショート大賞で吉岡編集長賞を受賞した作品です。このほかの応募作品のうち、一次選考を通過した作品は特設Webサイトで掲載しています。なお、受賞作品を決定した最終審査会の様子はこちらの記事でお読みいただけます。


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