Windows 8総責任者が辞任。マイクロソフトに今、何が起きているのか(3/4 ページ)

» 2012年11月15日 08時00分 公開
[本田雅一,Business Media 誠]

シノフスキーによる”Windows支配”を拒んだバルマー

 プログラマーとしては、控え目な雰囲気を醸し出していたシノフスキーだが、プロジェクトリーダーとしての彼は、プロジェクト全体を支配することを望んでいたという。技術面での議論は好むが、マーケティングサイドからの注進は、その根拠が見えない限り、斬って捨てることも多かったようだ。

 もっとも、だからこそWindows 7を産みだし、そこからドラスティックに変貌したWindows 8を作り、それらをスケジュールの遅れなく送り出せたとも言える。そのシノフスキーにとって鬼門だったのが、Windows Phoneである。

 Officeの開発責任者だったシノフスキーが抜擢され、Windows 7の開発を始めたころから、彼は気さくに自身の目指すWindows像について話してきた。注意深く継続してシノフスキーの話を聞くと解るのが、異なる要素を統合し、調和させることに並々ならぬ力を注ぎ込んでいたことである。

 彼はWindowsをネットワークサービスと一体化させる必要性を説き、また新しいWindowsのビジョンを具現化する手法として、ハードウェアとWindowsを一体化させなければならないと考えた。シノフスキーはWindowsとはまったく別の事業体として動いていたWindows Liveチームを傘下に組み込んで、ユーザーが意識することなくサービスを使いこなせることを目指し、自社ブランドのハードウェア開発も実現した。

 そのシノフスキーが手を出せなかったのが、Windows Phoneである。Windows 8で従来からのパソコンとタブレットを、ひとつの基本ソフトでまとめ上げたが、それだけでは足りない。スマートフォンであるWindows Phone 8も統合、調和の取れた連携ができなければ、Windowsファミリーを完成できないと考えていた。

ニューヨークではいつも通りのどう猛なスピーチで湧かせたバルマー氏

 しかし、すべての基本ソフト、基盤技術をひとりのエンジニアが担うことを、バルマーは許さなかった。シノフスキーは統合・調和を望み、バルマーは別の誰かによるWindowsの支配を拒んだ。

 最後となったインタビューで、シノフスキーに最後の質問で“WindowsとLiveを一体化し、ハードウェアとの調和も実践した。次はWindows Phoneの番じゃないのかな?”と尋ねた。いつもなら「Windows Phoneについては何も喋らないよ。僕は絶対に何も外には言わない」と、おどけながらかわすところだが、「確かにその通り。しかし、まったく”いい質問”だよ……」と不機嫌な表情を見せた。

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