なぜ空洞化でアニメーターが足りないという声が生まれるのかアニメビジネスの今・アニメ空洞化論(2/4 ページ)

» 2012年11月07日 08時00分 公開
[増田弘道,Business Media 誠]

東映と東映アニメーションの違い

 実写映画界とアニメ界のスタジオの差が一番分かりやすいのは、東映と東映アニメーションだろう。時代劇で一斉を風靡し映画会社としてトップになったこともある東映は、戦後の1952年から演出人材の定期採用を行うことで自ら人材育成をスタートした。

 次表を見ると分かるが、1950年代から1960年代初頭にかけて多くの演出人材を採用するに至った。出身大学を見ると、東京大学出身の降旗康男氏や中島貞夫氏などを筆頭に、これらの監督は非常に高学歴。当時の映画会社がいかに魅力的だったかを物語る証拠となっている。

 しかし、前図のように1958年から観客動員数が減り始め、1960年代中盤には早くも不況産業となってしまったため、東映もそれ以降、演出人員の採用をほぼストップしてしまった。そのため、東映が自社で演出人材を一から育てた期間はおおよそ10年で終わってしまい、それ以降、東映育ちの映画監督は姿を消してしまった。

 他の大手5社の東宝、松竹、大映、日活も同じで、1960年代中盤以降人材がどんどん減りはじめ、現在では既述したように70歳以下のスタジオ育ちの監督がほとんど存在しない状況となっている。

東映出身の主な映画監督(『日本映画人名事典 監督篇』などの資料をもとに筆者調べ)

監督名 入社年 生年 出身大学 代表作
倉田準二 1950年 1930年 日大芸術 『十兵衛暗殺剣』『飛び出す冒険映画 赤影』
工藤栄一 1952年 1929年 慶應義塾大学 『十三人の刺客』『ヨコハマBJブルース』
山下耕作 1952年 1930年 京都大学 『博奕打ち 総長賭博 』『山口組三代目 』
佐藤肇 1952年 1929年 慶応大学 『海底大戦争』『黄金バット』『未来少年コナン』
深作欣二 1953年 1930年 日大芸術 『仁義なき戦い』『バトルロワイヤル』
佐伯孚治 1954年 1927年 東京大学 『渥美清の泣いてたまるか』『プレイガール』
小西通雄 1954年 1930年 同志社大学 『ザ・ガードマン』『キイハンター』『プレイガール』
佐藤 純彌 1956年 1932年 東京大学 『新幹線大爆破』『人間の証明』『敦煌』
鈴木則文 1956年 1933年 立命館大学 『緋牡丹博徒』『聖獣学園』『トラック野郎』
降旗康男 1957年 1934年 東京大学 『駅 STATION』『鉄道員』『あなたへ』
野田幸男 1958年 1935年 京都大学 『不良番長』『激殺! 邪道拳』『ゴルゴ13 九竜の首』
原田隆司 1958年 1935年 明治大学 『極悪坊主』『舶来仁義・カポネの舎弟』
吉川一義  1958年 1935年 日大芸術 『破れ傘刀舟悪人狩り』『はぐれ刑事純情派』
山内鉄也 1959年 1934年 中央大学 『怪竜大決戦』「仮面の忍者 赤影」
中島貞夫 1959年 1934年 東京大学 『まむしの兄弟』『日本の首領』『女帝 春日局』
山口和彦 1959年 1937年 早稲田大学 『空手バカ一代 』『サーキットの狼 』『水戸黄門』
鳥居元宏 1959年 1935年 早稲田大学 『十七人の忍者 大血戦』『侠客の掟』
内藤誠 1959年 1936年 早稲田大学 『不良番長』『番格ロック』『十代 恵子の場合』
高木一臣 1959年 1936年 日大芸術 『原爆裁判・人間であるために』『沈黙の夏』
伊藤俊也 1960年 1937年 東京大学 『女囚さそり』『風の又三郎 ガラスのマント』
清水彰 1960年 1934年 同志社大学 『学生やくざ』『ラグビー野郎』
小林義明 1960年 1936年 日大芸術 『宇宙刑事ギャバン』『宇宙刑事シャイダー』
橋本幸治 1960年 1936年 早稲田大学 『さよならジュピター』『ゴジラ(1984年)』
牧口雄二 1960年 1936年 慶應義塾大学 『広島仁義 人質奪回作戦 』『らしゃめん 』
三堀篤 1960年 1936年 学習院大学 『非情学園ワル 』『任侠花一輪』
澤井信一郎 1961年 1938年 東京外大 『Wの悲劇』『早春物語』『めぞん一刻』
深尾道典 1961年 1936年 早稲田大学 『金属バット殺人事件(脚本)』
岡本明久 1961年 1937年 中央大学 『横浜暗黒街』『暴力教室』『男組』
小平裕 1961年 1938年 東京大学 『青い性』『新女囚さそり』『パンツの穴』
土橋亨 1965年 1941年 早稲田大学 『燃える勇者』『極道の妻達II』

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