橋下市長の騒動を見て、何を感じたか相場英雄の時事日想(2/3 ページ)

» 2012年11月01日 08時02分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

 橋下市長の資質云々ではなく、今回の騒動は朝日側が取材される側の発信力の強さを読み誤ったことの格好の材料となる。

 ちなみに、本稿執筆時点(10月29日)での橋下市長のTwitterでのフォロワーは約88万人だ。一方の『週刊朝日』の発行部数は約20万部。Twitterというツールの登場で、取材される側の発信力が報道する側より単純計算で多いという状態になっているのだ。Twitterの機能のひとつであるRT機能を同市長のフォロワーが使えば、88万人という数字は瞬く間に数百万に膨れ上がる。

 若手や中堅の記者や編集者ならばこうした事態を知っているはずが、私が想像するに朝日、いやメディア界全体の編集幹部、経営陣は皮膚感覚でこの数字が持つ怖さを理解していなかったのではないか。

可視化を甘く見るな

 本稿では、橋下市長の個人情報や政策を論じるつもりは一切ない。ただ、同市長の巧みさのひとつとして、メディアを通じて強い言葉とメッセージを広く伝えるスキルを持ち合わせていることには舌を巻く。

 取材時に気に入らないことがあれば、Twitterを通じて瞬時に支持者にメッセージを発信する機敏さも持ち合わせる。取材するプロセスを可視化させた先駆者だと言い換えることもできる。過日、ベテランの在京紙記者と話した際も、橋下市長が潜在的に持ち合わせている情報発信力の強さに話が及んだ。

 恐らく、朝日新聞グループには膨大な数の抗議電話やファクス、メールが殺到したはず。今後の取材に支障が出るという要素のほかに、橋下市長のスキル、抜群の情報発信力に朝日は屈服したわけだ。

 だが、フォロワーが多ければ、批判してはいけないのか。私個人としては、そうは思わない。権力を持つ人間を監視し、批判するのがメディアの使命だからだ。

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