“鉄人”金本が阪神に残した、一塁への全力疾走臼北信行のスポーツ裏ネタ通信(2/5 ページ)

» 2012年10月24日 08時00分 公開
[臼北信行,Business Media 誠]

天才スラッガー・前田智徳へのジェラシー

 入団当初は、ほとんど期待されていない存在だった。1992年、東北福祉大からドラフトを経て広島カープ入り。下位指名で入団したチームには3歳年下で高卒3年目ながらも早々とレギュラーの座を獲得していた前田智徳という天才バッターがいた。

 「カネ(金本)は入団当初、自分よりも遥かに前を行く年下の前田にジェラシーを覚え『いつか追いつき追い越してやる』と心に誓っていた」と当時を良く知る広島関係者はいう。

 前田がプロ生活の最初からスター街道をひた走っていた天才ウサギならば、金本は大卒ながら下積みの長かったノロマなドロガメ。打席に立ってヒットになっても「打ち方が悪かった」と反省する天才ウサギに対し、ノロマなドロガメは結果が欲しいから「形なんてどうでもいい」とドン詰まりでも大喜びする。

 そんな不器用を地で行く金本は打撃指導で「ちゃんとバットに当てろ」と連日のように怒鳴られ、守備では送球をグラウンドにたたきつけるヘボプレーで「モグラ殺し」と酷評されて笑われた。

 広島関係者の間では「あんな調子じゃあ、1年も持たないうちに逃げ出すんじゃないか」ともささやかれたが、実に2年間にも渡る猛烈なシゴきに耐え、1度たりとも音を上げることはなかった。試合の翌日は地元紙にいつも大きく扱われる前田の記事を見ながら「アイツを絶対にギャフンと言わせる」と自分に言い聞かせ、闘争心をメラメラと燃やしていたからだ。

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