ブラックマンデーから25年、我々は誤った教訓を引き出してしまったのか?藤田正美の時事日想(1/2 ページ)

» 2012年10月22日 08時00分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”


 1987年10月19日、月曜日。その日、僕はワシントンにいた。メイフラワーホテルのレストランで昼食を取っていた。隣のテーブルで投資銀行家らしきビジネスマンが大荒れだった株式相場について話していた。いくら下がったのか尋ねると200ポイントだと言う。大幅な下げだ。用事をすませて夕方、日本の新聞社の支局に寄った。友人と会うためである。そして相場を聞いた。友人はニューヨーク支局に電話をし、508ポイント下がったと聞いて、「大暴落だ」とつぶやいた。1日で23%の下落は史上最大だった。

 この暴落を受けて、日本でも株価が暴落した。下げ幅は約15%である。しかし日本は当時バブルの真っ最中。翌日にはたちまち大幅に値上がりして、下落した分の3分の2ぐらいを戻してしまった(そしてバブルがはじけるまでまた一直線に株価も上昇していった)。

 翌日、僕はニューヨークでニューズウィーク誌の編集会議に出ていた。編集長以下、幹部がずらっと並んでいる。電話が鳴った。編集長がすかさずジョークを飛ばす。「売れ」

 それから25年が過ぎた。そして世界経済はいま2008年のリーマンショックの後遺症に悩まされている。25周年ということで英エコノミスト誌最新号が、このブラックマンデーに関する記事を掲載している。タイトルは「Black marks from Black Monday」。

 あの大暴落から誤った教訓を引き出したことが、世界経済を苦境に陥れた最大の原因であるという記事である。

 この記事の中で最も痛烈に批判されているのがアラン・グリーンスパン前FRB(連邦準備理事会)議長である。グリーンスパンと言えば、ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワード記者(ニクソン大統領の陰謀を暴いたスター記者になった)が「マエストロ」と持ち上げたFRB議長である。ちなみにこの1987年当時はポール・ボルカー議長だった。

 2008年のリーマンショックを「100年に一度の金融ツナミ」と議会証言したのはグリーンスパン議長だ。それまでグリーンスパンはアメリカ経済を安定的に成長に導いた神様と見なされていた。1990年代のITバブルがはじけたときも大きな混乱はなく、そして2000年代に入ってからは住宅ブームによって、安定的に成長を続けたからである。

 その住宅ブームを支えたのはFRBの低金利政策だった。その結果、カネは余り、資金の自己増殖本能にしたがって金融商品が生まれ、あるところで住宅バブルが弾けた。それを一挙に世界に広げたのが、2008年のリーマンショックである。

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