少し話はそれるが、『12人の優しい日本人』という映画がある。これは米国の映画『十二人の怒れる男』を元ネタにしたもので、「もし日本にも陪審員制度があったら?」という架空の設定でストーリーが進んでいく。
ある殺人事件で集められた陪審員の心理的かけ引きが描かれていて、その中に「もっと議論をしましょうよ」という男が現れる。彼は一見、理性的で公平のようだが、実は単に有罪へと“誘導”をしたいという狙いがあったことが、終盤で明かされる。この“偏向陪審員”と、大手メディアがカブって見えてしょうがない。
日本で最も洗練された「東大話法」の使い手は霞ヶ関の高級官僚だ。彼らが「東大話法」を駆使してつくったペーパーでせっせと記事をつくり、「東大話法」によってリークされたものを「スクープ」とありがたがるのが大手メディアだ。「ホニャララ新聞は入試にも出るからやっぱり信用できるよな」なんていうマジメな人に限って、霞ヶ関官僚の受け売りみたいな欺瞞をふれまわるようになるのは、こういう構造的な問題があるからだ。
原発事故から1年以上が経過して、誰が悪かったのか、何が問題だったのか、「東大話法」で見事にウヤムヤにされたことからも分かるように、霞ヶ関には自浄作用がない。そこに連なるメディアも然り。となると、もはや自分の身は自分で守るしかない。
「権威」と呼ばれる人たちが、どんなタイミングでウソをつき、どんなテクニックで問題の本質から目を逸らさせようとするのか。この本には、そんな彼らの“尻尾”が実例をまじえて紹介されている。
ビジネスシーンはもちろん、世に溢れる欺瞞を見抜く「ガイドブック」のようなものだけに、安冨教授にはぜひ高校生以下のジュニア用の本も書いてもらいたい。
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