フォークランド紛争に学ぶ、領土問題新連載・リアリズムと防衛を学ぶ(3/3 ページ)

» 2012年09月26日 08時00分 公開
[暁,リアリズムと防衛を学ぶ]
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正しさは、手段に過ぎない

 プロイセン王国※の宰相ビスマルクは、悪どい外交家でした。時に、相手国の王様から送られてた電報を改ざんしたこともありました。たくみに挑発し、自国に戦争を仕掛けるように相手を誘導したこともありました。

※プロイセン王国……1701〜1918年。現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とし、首都はベルリンにあった。

 相手を悪くみせ、自国を善に見せ、争いを有利に運んだのです。しかし、自らそれにとらわれることはしませんでした。

 王が「戦争をしかけてきたのはオーストリアであるからして、オーストリアは罰せられてしかるべきだ」と述べた時、ビスマルクは「オーストリアが我われに敵対するよう仕向けたのは正しいことであり、また彼らが我われの要求に反対したのも当然のことであります」と答えている。(テイラー『戦争はなぜ起こるか』39ページより)

 自国が正しい、相手が悪いという信念は、多くの場合、打ち手を過度に制限してしまい、自らを悪手に追い込みがちなものです。正しさは演出すべきもので、自ら信じすぎるのは考えものです。この種の冷めた感覚をなくした時、大衆は極端に走り、指導者は思わぬ悪手に出るものです。

 このビスマルクですら、最後には大衆の情熱を制御できず、次世代に禍根を残す結果になっています。

さいは投げられた

 30年前のアルゼンチンでは、国民の不満から目をそらし、不安定な自分の政権に求心力をもたらすため、歴史的ないさかいが掘り起こされました。

 国際紛争において、世論はしばしば無力であり、時にはその頑迷さが、うかつなリーダーを誘惑します。リーダーが人々の情熱に訴え、安易に大見得をきった時、拍手喝采の中で破局が約束されました。

 「心配することはないよ。負けるはずは無いのだからな」と、大統領は外務当局に語ったそうです。

 戦争が始まったのはその1カ月後。敗戦の責任をとって大統領が退陣したのは、3カ月後のことでした。

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